Orpheum Theatre|基本情報

住所: 126 2nd Ave, New York, NY 10003(地図
開業: 1904年
収容人数: 347人
座席表: ※クリックして拡大
オルフェウム劇場の座席表

Orpheum Theatre 劇場の歴史

エンターテインメントの会場から劇場へ

1930年代のオルフェウム劇場(コメディアンハロルド・ロイド(Harold Lloyd)による「Welcome Danger」上演期間中)
オルフェウム劇場は1904年に開業、1880年代からコンサート劇場が多く集まっていたイースト・ビレッジ地区に、イディッシュ劇場街(Yiddish Theatre District)の一部として建築されました。
イディッシュ劇場街とは、2番街(現在のイースト・ビレッジ)を中心に22個のイディッシュ劇場2つの演劇会場で形成され、主に、ユダヤのイディッシュ人によって作成された演劇・クラシック・コメディ・オペラまたバーレスクやミュージカルとして使用されていました。また、別名「Jewish Rialto(ユダヤ人の劇場街)」の愛称で、ニューヨークで一番古い庶民向けエンターテインメントの会場として親しまれていました。
※Rialto(リアルト)は、ブロードウェイのような劇場街を意味します。

オルフェウム劇場も、開業当時は一夜で約20~30公演をするほどの人気を博していましたが、第二次世界大戦が終演するとブロードウェイ黄金時代が巻き起こり、ユダヤ人向けの演劇を主としていたイディッシュ劇場街は人気が激減します。
そこで、1920年代には映画館として使用開始、元々座席数299席だったオルフェウム劇場は数年を掛けて再建築され、座席数560席まで拡大しました。
1958年には、映画館から正式にオフ・ブロードウェイ劇場へと変わり、子ども向けミュージカル公演を開始したことで、徐々に昔の人気を取り戻していきます。初めて上演されたブロードウェイミュージカルは、1959年11月初公開の「Little Mary Sunshine」でした。

イディッシュ劇場(Yiddish Theatre)について

19世紀にマンハッタン内で繁栄したユダヤ人によるイディッシュ文化

ユダヤ人グループ会社「イディッシュ劇場(Yiddish Theatre)」は、1890年~1940年の間に、アメリカ国内に200以上の劇場を建設し、マンハッタンの南東部(現在のイースト・ビレッジ)では、2番街を中心に複数の劇場を建設しました。
この地域が後にイディッシュ劇場街(Yiddish Theatre District)と呼ばれるようになります。

当時のイディッシュ劇場(Yiddish theatre)
イディッシュ劇場を含むイディッシュ文化は、13世紀以後キリスト教徒による迫害から逃れた東ヨーロッパに移住したアシュケナジ系のユダヤ人によって作られ、主に東ヨーロッパで発展を遂げました。
イディッシュ語は、アラブ語とヘブライ語の単語を交えたドイツ語の方言の1つであり、イディッシュ(Yiddish )はユダヤ人という意味を示すため、別名「ユダヤドイツ語」とも呼ばれています。
現在、イディッシュ文化の中心は、アメリカ合衆国・イスラエル・南アフリカへと移り変わり、世界中で約1億人以上の人が第1言語として話しています。

もともと、劇場が建築される前の16世紀から18世紀までは、ユダヤ文化の一つとしてイディッシュ演劇は浸透しており、19世紀初頭に、主にアシュケナジムを母国語とする地域と、中東欧地区にイディッシュ劇場が建築されました。
19世紀終わりから第二次世界大戦(1939年~1945年)の間にベルリン・ロンドン・パリ・アルゼンチンそしてニューヨークの世界各国にイディッシュ劇場の建築が開始、ニューヨークには、2番街(現在のイースト・ビレッジ)を中心に22個のイディッシュ劇場と2つの演劇会場で形成されたイディッシュ劇場街が建築されました。

イディッシュ劇場がイースト・ビレッジに誕生したきっかけ

17世紀頃のイースト・ビレッジは、元々オランダ人の所有地でしたが、19世紀中頃には多くの貧しいアイルランド人やドイツ人が移住し始め、20世紀初頭にはウイーン、ベルリンに次いでドイツ人の多い地域でした。
ところが、1904年にジェネラル・スローカム(General Slocum)号という名のニューヨーク港遊覧船が火災事故を起こし、乗船していた約1000人以上のドイツ系アメリカ人が死亡するという大惨事が起こりました。のちにこの大惨事が、当時イースト・ビレッジに移住していたドイツ系社会の消滅を引き起こし、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人などが移住が始まります。ユダヤ人の劇場がこの地域に建築されたのをきっかけに、ユダヤ文化を代表する地域として認知されるようになります。

1925年に発行されたニューヨーク・タイムズ紙では、「イディッシュ劇場街は、イディッシュ語を話す東ヨーロッパ人だけでなく、2番街のエンターテインメントの一角として、アメリカ内で独自の発展を遂げた立派なブロードウェイ劇場である」と評され、ニューヨークのブロードウェイの歴史の1つとして認められました。現在も、イディッシュ劇場含めイースト・ビレッジ各所に点在し、その他ウクライナ料理店や教会の東ヨーロッパ的雰囲気が残っています。

イディッシュ劇場街の代名詞Yiddish Art Theatreは過去に7回名前が変わっている

現在のビレッジ・イースト・シネマ(Village East Cinema)
イディッシュ劇場街を代表する劇場の1つ「イディッシュ・アート・劇場(Yiddish Art Theatre)」は、1926年にルイス・ジャフィ(Louis N. Jaffe)によって建築されました。
イディッシュ・アート・劇場は、数年に渡って劇場から映画館に繰り返し移り変わり、現在までに、ルイス・ジャフィ劇場(Louis N. Jaffe Theater)、イディッシュ・アート・劇場(Yiddish Art Theatre)、 イディッシュ・フォークス劇場(Yiddish Folks Theatre)、センチュリー劇場(Century Theatre)、フェニックス劇場(Phoenix Theatre)、ゲィヤティ劇場(Gayety Theatre)、エデン劇場(Eden Theatre)、エンターメディア(Entermedia Theater)の合計7つの名前に改名しています。

そして1991年には、ビレッジ・イースト・シネマ(Village East Cinema)に変わり、1993年にニューヨークランドマークに指定されました。ビレッジ・イースト・シネマは、現在も映画館として同じ場所で営業をしています。

1980年台に人気オフ・ブロードウェイ劇場へ

1980年代~1990年代になると、オルフェウム劇場は、座席数347席を対応したさらなる劇場向けの再建築がされ、オフ・ブロードウェイ劇場の中では、ミュージカル劇場収容人数第3位の大きさに生まれ変わりました。

1982年の改築後、最初に公演がされたオフ・ブロードウェイ「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(Little Shop of Horrors)」は、元々オフ・オフ・ブロードウェイとして全米各地で上演されていましたが、オルフェウム劇場での公演がきっかけに、オフ・ブロードウェイへの進出が決まりました。公演は5年間の上演で約2,209回にも及び、当時のオフ・ブロードウェイロングラン作品の歴史で約3位の記録を残しました。※現在はオフ・ブロードウェイ歴代第18位。

1994年からストンプ(STOMP)公演開始

ストンプ(stomp)上演中のオルフェウム劇場
現在公演中の「ストンプ(stomp)」は、1994年からオルフェウム劇場にて公演を開始、現時点で約5,000回以上公演回数をもつロングラン作品の1つです。
ストンプは、本来楽器ではないものを使って行われるアクロバティックなパフォーマンスショーですが、楽器のリアルな音をマイクなしで使用して行うため、通常の大きさの劇場では音を上手く出すことができませんでした。そこに制作チームが目を付けたのが、もともと映画館に使用していたオルフェウム劇場です。

オルフェウム劇場は、座席までリアルな楽器の音を届けるのに丁度良いサイズで、また、スピーカーよりも音の良さに影響を与える劇場の造りが、楽器をメインとする劇に最適でした。内装は、ストンプならではの楽器を使用した内装になっており、劇場の雰囲気からストンプを楽しむことができます。

Orpheum Theatreで上演された過去の作品

上演開始日 演目
1962年3月15日 Anything Goes
1968年1月13日~1970年4月5日 Your Own Thing
1970年5月18日 The Me Nobody Knows
1980年 The Cocktail Party
1981年10月1日 Key Exchang
1981年 Broken Toys!
1982年~1986年 Little Shop of Horrors
1988年 Sandra Bernhard’s Without You I’m Nothing
1989年 The Lady in Question
1990年 Eric Bogosian’s Sex, Drugs, Rock & Roll
1991年 John Leguizamo’s Mambo Mouth
1992年 David Mamet’s Oleanna
1994年2月~現在 ストンプ ※現在も上演中