チャニン兄弟|Chanin Brothers

現在ハミルトンが上演されているリチャード・ロジャーズ劇場が昔の46ストリート劇場の元となります。
チャニン兄弟とは、ニューヨーク出身のユダヤ人建築家であり、不動産開発者でもあり、数多くのブロードウェイの劇場デザインまで手掛けたことで知られています。
兄のアーウィン・チャニンと弟のヘンリー・チャニンはユダヤ系の家庭で生まれ育ち、後に二人はチャニン建築会社(the Chanin Construction Company)を立ち上げました。

1925年に初めて、46ストリート劇場(the 46th Street Theater)を建設し、1930年には超高層アパートであるザ・マジェスティック(The Majestic)(現在の名はザ・センチュリー(The Century))を約7億円の費用をかけて建設(2010年に約20億円で売却されました。)、その他にも、ニューヨーク市歴史建造物保存委員会にニューヨークのランドマークとして認定されたチャニン・ビル(the Chanin Building)、リンカーンホテル(現ROW NYC ホテル)、ビーコンホテル、ワールド・アパレル・センター(World Apparel Center)など、数々のニューヨークを代表する建物の建築を担ってきました。
また、ブロードウェイの劇場建設では、初めての46ストリート劇場(the 46th Street Theater)から始まり、ジョン・ゴールデン劇場(John Golden Theatre)、バーナード・B・ジェイコブス劇場(Bernard B. Jacobs Theatre)、マジェスティック劇場(Majestic Theatre)、リチャード・ロジャース劇場(Richard Rodgers Theatre)、そしてビーコン劇場(Beacon Theatre)の6個を建築しました。

ハーツ & タラント|Herts & Tallant

ハーツ&タラントのヒュー・タラント
1900年、ヘンリー・ハーツ(Henry Beaumont Herts)ヒュー・タラント(Hugh Tallant)と共に「Herts & Tallant」という建築事務所を開業し、今なお残るブロードウェイの劇場建築の先駆者的存在です。
ニューヨーク出身のハーツは、コロンビア大学に入学するも、卒業はせず、建築の勉強をするため海外を渡り歩き、フランスのパリ国立高等美術学校、イタリアのローマ大学、ドイツのハイデルベルク大学などで建築デザインを学びました。
一方、相方のタラントは1869年にボストンで生まれ、ハーバード大学を卒業後、ハーツ同様フランスのパリ国立高等美術学校で建築について学んでいます。

ハーツは技師(エンジニア)とビジネス商談面で活躍し、タラントは建築デザイン担当として会社をスタートさせ、フルトン劇場(現在ヘレンヘイズ劇場)、ガエティー劇場(the Gaiety)、リバティー劇場(the Liberty)などの建築を手掛けていきましたが、後に取り壊されたために現存はしていません。
現存するHerts & Tallantが手掛けた劇場には、ブロードウェイに現存する劇場最古の1つであるニューアムステルダム劇場や、ライシーアム劇場などがあります。その中でハーバート・クラップが見習いとして事務所で働くようになりました。

1912年、ハーツとタラントとの共同経営が解消し、タラントは事務所を去りましたが、当時アシスタントとして働いていたクラップと共同で事業を続け、ブース劇場シューベルト劇場ロングエーカー劇場を手掛けました。1915年、クラップは独立するため事務所を去りました。

その後のタラントの活動は劇場デザインではなく、ブロンクス地区にあるライス・メモリアル・スタジアム(Rice Memorial Stadium)やベッツィー・ヘッド・パーク(Betsy Head Memorial)など、ニューヨーク市が運営する公園の建築デザインを手掛けました。
1928年、健康状態の悪化により、建築かとしてのキャリアを引退をし、5年後の1933年、ブロンクス地区にあるモンテフィオーレ病院で亡くなりましたが、現在でも、彼の書いた建築デザインの製図等は、建築関連の書物の数では世界一の大きさを誇る、コロンビア大学にあるエイブリー・アーチャイトクチュラル・アンド・ファイン・アーツ図書館(Avery Architectural and Fine Arts Library)に保管されています。

ハーバート・クラップ|Herbert J. Krapp

ハーバート・クラップ氏
ハーバート・クラップは、20世紀初頭に数々の劇場を手がけ、現在のブロードウェイ劇場街(シアター・ディストリクト)を築き上げたとも言えるブロードウェイを代表する劇場建築家です。クラップは、元々ハーツ&タラントの事務所の見習いとして設計学を学び、ライシーアム劇場シューベルト劇場ブース劇場ニュー・アムステルダム劇場ロングエーカー劇場の設計に携わりました。1915年に事務所を離れ独立したクラップは、1912年から1916年間に、ブロードウェイ最大の運営劇場団体であるシューベルト兄弟と直接提携して活動を始め、現在のブロードウェイ番街に存在する15個にも及ぶ劇場建築を行いました。

クラップは、無駄なく全ての空間を活用する技術が非常に優れており、建物の空間を最大限に引き出し、劇場の形や大きさに合った舞台構成と座席配置を各劇場ごとに採用していました。例えば、傾いた土地に六角形の形で建築されたアンバサダー劇場では、左右非対称の座席配置に、舞台を客席の正面ではなく横にずらして設置し、劇場自体が小さく建設されたウォルター カー劇場は、狭い空間に収まるよう会場を建物の対角線上に配置するなど空間を広く確保することを可能にしました。

クラップの得意とした建築様式はモダンスパニッシュ様式(Modern Spanish Style)で、素焼きの焼き物を外装に施し、レンガ壁の装飾やアーチ型の窓を取り入れている点が特徴的で、バーナード・ジェイコブス劇場マジェスティック劇場などが代表的となっています。内装デザインには18世紀のイギリスの伝統的な新古典主義をもとにする室内装飾様式(アダム様式:Adam style)を好んで採用しました。ウィンター ガーデン劇場アンバサダー劇場マジェスティック劇場などに採用され、今でも各劇場内ではクラップが手掛けたアダム様式を見つけることが出来ます。
一方で、数々の建築を手掛けてきたクラップは、一つの建築様式だけにこだわることなく、ニール サイモン劇場の建設にはコロニアルリバイバル様式を採用、ウィンター ガーデン劇場の改築の際には現代建築様式(コンテンポラリー様式)、ゴシック・リヴァイヴァル様式を採用するなど、様々なジャンルの建築様式を劇場を建てる人物の要望に合わせて形にすることが可能でした。

そして、劇場建築だけでなくホテルの建設にまで活躍の場を広げたクラップは、タイムズ・スクエアの中心に位置するホテル・エジソン(Hotel Edison)やロウ・NYCホテル(ROW NYC Hotel)の建物のデザインを手がけており、ブロードウェイの歴史だけでなくタイムズ・スクエアの建築開発の先駆者として、ニューヨークの歴史に名を残しています。

ハワード・クレーン|C. Howard Crane

ハワード・クレーン(C. Howard Crane)氏
ハワード・クレーンは1885年にコネチカット州で生まれたアメリカ人建築家で、数々の建築事務所で製図工として働いた後、1908年に自身の建築事務所を立ち上げました。
クレーンは北アメリカ中心の映画館の設計デザインに特化していましたが、彼のキャリアの中では数多くの劇場設計も担い、250の建築デザインを手掛けました。

北アメリカの中でもデトロイトを拠点として活動しており、250個のうち、62個はデトロイトでの建築で、5174席を擁するデトロイトフォックス劇場(Fox Theatre)はクレーンの最高傑作と言われています。また、5つのフォックス劇場をセントルイスやブルックリンにも建設し、デトロイトのNHL:アイスホッケーチームであるデトロイト・レッド・ウィングスの本拠地となったオリンピアスタジアム(Olympia Stadium)の設計もクレーンが手掛けました。
ニューヨークでは、1925年にオーガスト・ウィルソン劇場の建築デザインを手掛けました。劇場の所有者であるシアターギルドの要望に完璧に答え、単にショーを公演する為の劇場ではなく、教室、リハーサルホールや図書館を併設して、当時では全く新しい劇場の形を作り上げました。
1952年、ロンドンで生涯を終えました。

C. Howard Craneが手がけた劇場

デトロイトに所有する劇場
Fox Theatre|フォックス シアター フォックス劇場
Fox Theatre
Orchestra Hall|オーケストラ・ホール オーケストラ・ホール
Orchestra Hall
Detroit Olympia|デトロイト・オリンピア デトロイト・オリンピア
Detroit Olympia

ジョージ・キースター|George Keister

ジョージ・キースター(George Keister)の代表作:アスター・シアター、アポロ・シアター、ベラスコ・シアター
ジョージ・キースターは熟練した建築士で、1880年半ばから1930年頃に活躍しました。
1890年代はニューヨーク建築連盟(Architectural League of New York)の秘書としても働きましたが、ニューヨークではあまり有名ではない存在でした。
現存するべラスコ劇場を建設したことで現在は知られますが、べラスコ劇場建設前にも、ニューヨークに3つの劇場:「コロニアル劇場(the Colonial)」、「ローズ・ヨークビル劇場(Loew’s Yorkville Theater)」そして、マーリオット・マーキースとマーキス劇場建設のために取り壊される1982年まで活躍した「アスター劇場(Astor Theater)」を建築しました。

1907年、劇作家、舞台監督であるデイビッド・べラスコの依頼により「スタイヴェサント劇場(Stuyvesant Theatre)」を建築デザインしました。べラスコは演劇自体の素晴らしさよりも、劇場の素晴らしさにこだわっていたため、彼の建築デザインに対する要求、こだわりは非常に高いもので、一つ一つにチェックが入るほどでしたが、キースターは要求を完璧に具現化しました。

その他、キースターの代表的な建築として、「ホテルジェラルド」(1893年建設)、「ブロンクスオペラハウス」(1913年建設)、ハーレムにある「アポロシアター」(1914年建設)、「セルウィン劇場(現アメリカン・エアライン劇場)」(1918年建設)などに及びます。

George Keisterが手がけた劇場

その他建築物
Apollo Theatre|アポロ・シアター アポロ・シアター
Apollo Theatre
ジェラルドホテル,Hotel Gerald (現:AKA Times Square) ジェラルドホテル
Hotel Gerald (現:AKA Times Square)
Bronx Opera House|ブロンクス・オペラハウス ブロンクス・オペラハウス
Bronx Opera House
The First Baptist Church|ファースト・バプテスト教会 ファースト・バプテスト教会
The First Baptist Church

トーマス・W・ラム|Thomas W. Lamb

トーマス・W・ラム(Thomas W. Lamb)
トーマス・W・ラムは、アメリカ国内で合計約60個以上にも及ぶ劇場と映画館を建築し、20世紀始めのブロードウェイ番街の発展に大きく貢献した一流建築デザイナーです。トーマス・W・ラムは、12歳の時にスコッランドからニューヨークに移住、全米でも最も倍率の高い科学と芸術大学の1つとして知られているクーパー・ユニオン(The Cooper Union for the Advancement of Science and Art)で設計学を学んだ後、1909年に自身初となる劇場建築を行いました。その後、ブロードウェイ番街に地下鉄が通るようになった1910年以降の劇場建築ラッシュでは、コート劇場(Cort Theatre )を始めとする9つの劇場をデザインし、ブロードウェイ周辺に建設された48以上の劇場を手がけました。

トーマス・W・ラムによる建築はブロードウェイの劇場にとどまらず、映画館、マディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)またパラマント・ホテル(Paramount Hotel)などの建築にも関わりました。残念ながら彼がデザインしたブロードウェイの劇場は現在ほとんど取り壊され、唯一コート劇場だけが残って営業していますが、ニューヨーク市を含めアメリカ各地で建設された映画館は、現在も運営存続がされており、20世紀始めのニューヨークの発展及び劇場建築に大きく関わった人物として語り継がれています。

Thomas W. Lambが手がけた劇場