Astor Place Theatre|基本情報
住所: | 434 Lafayette St, New York, NY 10003(地図) |
開業: | 1968年1月17日 |
収容人数: | 298人 |
座席表: | ※クリックして拡大![]() |
Astor Place Theatre 劇場の歴史
アスター家によるラファイエット・ストリート(Lafayette Street)開発
コロネード・ロウ (Colonnade Row) の完成
コロネード・ロウが位置するこの土地は、元々アメリカの財閥アスター家(Astor family)の一族で、アメリカの実業家、陸軍軍人でもあったジョン・ジェイコブ・アスター4世(John Jacob Astor)の所有地でした。ジョン・ジェイコブ・アスター4世率いるアスター家は、18世紀に先代の1世が、アメリカ独立戦争の後にドイツからアメリカに移民後、当時の毛皮貿易で大成功して一代にしてアメリカで史上4番目に莫大な財を築いた財閥一族です。ちなみに、4番目と言われる理由は、石油王のジョン・ロックフェラー、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー、鉄道王のコーネリアス・ヴァンダービルトのトップ3の存在がありました。
彼らアスター家はアメリカ国内に莫大な所有地を管理し、1804年にこの土地を買収、1826年まではイギリス・ロンドンの上流階級庭園ヴォクソール(Vauxhall Gardens)のアミューズメント施設として使用をしていました。
その後、アスター4世はこの土地に「ラグランジュ・テラス」という名でコロネード・ロウを建築。設計士アレクサンダー・ジャクソン・デイビス(Alexander Jackson Davis)と建築家セス・ギア(Seth Geer)によって建てられたこの建物は、部屋数26部屋からなり、当時珍しい温水と冷水を兼ね備えたお手洗いの完備が施された居住地として使用されました。また当時としては珍しい27 ft × 15 ft(8.2 m × 4.6 m)の表庭、そして、現在ライブ会場として使用されているパブリック劇場(The Public Theater)の原型であるアスター図書館(the Astor Library)などが含まれ、当時のアスタープレイス地区を代表する建物でした。
19世紀半ばから後半の当時のアスタープレイス地区は、アスター家含め、19世紀前半にアメリカ国内の鉄道ビジネスで莫大な富を得た鉄道王ヴァンダービルト家(Vanderbilt family)、政治家一族デラノ家(Delano family)や発明家・企業家などが多く住み、ニューヨークの最も裕福な人たちの居住地として知られていました。ちなみにヴァンダービルト家の3第目子孫ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト(William Kissam Vanderbilt )は、ウィンター・ガーデン劇場の創立者でもあります。
このコロネード・ロウは高級住宅地としてニューヨークの著名人が多く定住し、9つの住居はそれぞれ最高約30,000ドルで売却されました。※当時レートで約3万円(1930年代の為替レートは約3円/ドル)また、アメリカ合衆国の文化遺産保護制度の1つであるアメリカ合衆国国家歴史登録財は、完成したコロネード・ロウについて「ニューヨークで活躍する様々な分野を代表する人物のためのエリアだ」と記事を出しています。
1963年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録される
1901年に、コロネード・ロウ内にあった9つの内5つのビルは取り壊され、現在の4つのビルで形成されている建物へと変化を遂げます。
アスター4世(John Jacob Astor)とタイタニックの悲劇
8世紀にアメリカに移民してから財を成したアスター家ですが、先代1世の死後も、アスター家の財産は絶えることはありませんでした。イギリスに移住した子孫は、イギリス臣民となり慈善事業などに尽くした功績で、貴族として連合王国貴族の爵位も与えられ、一方、アメリカに残った子孫は、ニューヨークで有する莫大な不動産の運用で知られ「ニューヨークの地主(the Landlords of New York)」と呼ばれていました。ジョン・ジェイコブ・アスター4世も、その内の1人としてニューヨークの不動産を相続し、コロネードロウを含む多くの土地をニューヨーク各地に所有していました。
しかし、一族の栄華が続いたある日、ジョン・ジェイコブ・アスター4世と妻マデリン・アスター(Madeleine Astor)は新婚旅行先のパリからニューヨークに帰国するために、1912年豪華客船タイタニック号(RMS Titanic)に乗船しましたが、誰もが知っている航海中の事故によりタイタニック号が沈没。妻のマデリンだけが救命ボートに乗ることができ無事に命を取り留めましたが、ジョン・ジェイコブ・アスター4世本人は、救命ボート不足により帰らぬ人となってしましました。後に、彼の遺体の身元は、襟に縫ってあった”J.J.A.”のイニシャルにより特定され、現在もマンハッタン市内のトリニティ・チャーチ墓地(Trinity Church)の一族の霊廟に埋葬されています。
グリーク・リバイバル建築(Greek Revival architecture)とは
グリーク・リバイバル建築(Greek Revival architecture)の成り立ち
代表的な建物として、アテネ(ギリシャ)のアクロポリスの丘に建つパルテノン神殿(Parthenon)が挙げられ、古代ローマ建築の源泉として知られていますが、ヨーロッパでは18世紀まで忘れ去られていた建築様式でした。しかし、18世紀中から19世紀初頭にかけて、ギリシア建築が古代建築の起原であると考えられるようになり、ギリシア建築の復興運動が巻き起こります。この運動をきっかけにグリーク・リバイバル建築(Greek Revival architecture)と呼ばれる建築方法が、ヨーロッパを始めアメリカ国内各地に浸透されるようになりました。
ニューヨークにも、約40個のグリーク・リバイバル様式の建物が建築され、代表的な建物としてコロネード・ロウ(Colonnade Row)の他に、1842年に建築されたアメリカ合衆国議会旧議事堂の敷地に建つ記念館フェデラル・ホール(Federal Hall)が挙げられます。
コロネード・ロウ(Colonnade Row)の由来ともなるコロネード(colonnade)形式とは
アスター プレイス劇場(Astor Place Theatre)の登場
アスター プレイス劇場(Astor Place Theatre)としてミュージカル上演開始
1965年に、起業家ブルース・メイルマン(Bruce Mailman)によって、コロネード・ロウにアスタープレイス劇場が登場、1968年に最初のミュージカル作品「The Indian Wants the Bronx」の上演を開始しました。
1991年からブルーマングループ(Blue Man Group)公演開始
ブルーマンは、顔を真っ青に塗ったスキンヘッドの3人組「ブルー・マン」たちが、音楽や演劇など様々なパフォーマンスを舞台上で繰り広げるパフォーマンスショーです。2度のオビー賞を受賞し、今まで、日本を含め世界各国約20都市以上で公演をしている世界的人気オフ・ブロードウェイ作品です。
ブルーマングループは、1987年に、最初の3人組となる3人のメンバー(マット・ゴールドマン(Matt Goldman)、フィル・スタントン(Phil Stanton)、クリス・ウィンク(Chris Wink))によって結成され、当初は、マンハッタンのイースト・サイド地区の路上でストリート・パフォーマンスを行っていました。その後、路上パフォーマンスから人気がでたため、同地区のイースト・サイドの小さなクラブで公演を開始、1991年からこのアスタープレイス劇場の所有として拠点を開始しました。
現在ではアスタープレイス劇場を代表するオフ・ブロードウェイ作品として、ニューヨークのエンターテイメント界にとって重要な存在となっています。
ジョン・ジェイコブ・アスター4世とアスタープレイス地区
1748年に、スイス出身の医師Jacob Sperryが、現在のラファイエット・ストリートとアスター・プレイスの交差点付近にニューヨーク初の植物園を設立。のちにジョン・ジェイコブ・アスター4世がこの土地を買収し、コロネード・ロウの建設及びラファイエット・ストリートの開発を行いました。彼はこの通りを、アメリカ独立革命とフランス革命の双方における活躍によって「両大陸の英雄」と讃えられたフランスの政治家「ラファイエット侯爵(Marquis de Lafayette)」を記念して「ラファイエット・プレイス(Lafayette Place)」と名付けました。この通りは1900年代初頭にニューヨーク市によって南へ拡張され、現在の「ラファイエット・ストリート」へと改名されました。
このラファイエット・ストリートを含むアスター・プレイス地区の名前由来は、彼が他界した1848年に「ジョン・ジェイコブ・アスター(John Jacob Astor)」と「ラファイエット・プレイス(Lafayette Place)」を取って命名されました。よって、アスターの場所(Place)を意味するプレイスではなく、偉人の名字である「プレイス」が使用されているのですが、ニューヨーク以外の方にはあまり知られていない話です。
Astor Place Theatreで上演された過去の作品
上演開始日 | 演目 |
1968年1月17日~7月14日 | The Indian Wants the Bronx/ It’s Called the Sugar Plum |
1968年10月1日~10月5日 | The Empire Builders |
1968年11月4日~12月1日 | The Grab Bag |
1968年12月31日~12月31日 | Yes Yes, No No |
1969年1月27日~7月13日 | Peace |
1969年10月26日~11月2日 | Crimes of Passion |
1969年12月15日~1970年1月18日 | Gertrude Stein’s First Reader |
1970年4月1日~4月18日 | The Unseen Hand/ Forensic and the Navigators |
1970年6月27日~1971年9月19日 | The Dirtiest Show in Town |
1972年3月23日~3月28日 | Rain |
1972年12月3日~12月31日 | The Bar That Never Closes |
1973年3月15日~3月18日 | Brother Gorski |
1973年6月6日~6月6日 | The Boy Who Came to Leave |
1973年9月17日~10月7日 | I Love Thee Freely |
1973年10月16日~1974年11月24日 | House Party |
1973年11月12日~12月2日 | The Foursome |
1974年2月4日~4月28日 | Bad Habits |
1974年5月17日~9月1日 | Jacques Brel is Alive and Well and Living in Paris |
1974年11月17日~11月24日 | How to Get Rid of It |
1975年5月1日~6月15日 | Women Behind Bars |
1977年1月13日~1月16日 | The Cockeyed Tiger |
1977年3月10日~5月1日 | Monsters |
1977年12月11日~1978年1月8日 | Joe Masiell Not at the Palace |
1978年1月18日~3月5日 | My Astonishing Self |
1978年4月12日~1979年4月29日 | Family Business |
1979年9月10日~9月16日 | After the Rise |
1979年11月11日~1980年2月24日 | Modigliani |
1980年4月28日~1981年5月17日 | A Couple White Chicks Sitting Around Talking |
1981年6月9日~6月21日 | Shay Duffin as Brendan Behan |
1981年9月30日~10月18日 | Particular Friendships |
1982年1月7日~1月24日 | The Good Parts |
1982年2月24日~7月17日 | The Dining Room |
1982年3月14日~4月11日 | Maybe I’m Doing It Wrong |
1983年9月13日~9月25日 | A Weekend Near Madison |
1984年4月11日~4月29日 | The Vampires |
1984年11月1日~1986年6月6日 | The Foreigner |
1987年4月7日~4月19日 | Tent Meeting |
1987年8月4日~12月13日 | Moms |
1988年5月11日 | Three Ways Home | 1988年11月17日~12月11日 | The Middle of Nowhere |
1989年9月12日~10月1日 | The Man Who Shot Lincoln |
1989年11月3日~12月10日 | Songs of Paradise |
1991年3月20日~ | ブルーマン・グループ ※現在も上演中 |