1501 Broadway, New York, NY 10036(地図)
開業:1912年|所有劇場数:9
Nederlander Organization|基本情報
ネダーランダー・オーガニゼーション(Nederlander Organization)は、1912年にミシガン州デトロイトで、デイビット・ネダーランダー(David Nederlander)とよって設立されました。今日のブロードウェイの劇場運営会社の中で、シューベルト・オーガニゼーション(The Shubert Organization)に次いで2番目に大きい劇団で、ブロードウェイ番街に位置する主要劇場の内9つの劇場を所有、ニューヨーク市以外では、約20個の劇場を所有・運営しています。
Nederlander Organizationの歴史
設立者デイビット・ネダーランダー(David Nederlander)について
当時、ニューヨークで既に劇場ビジネスで勢力を上げていたシューベルト・オーガニゼーション(The Shubert Organization)が、他地域でも演劇ビジネス参入のため、デトロイトでも精力的にビジネス開拓していました。この流れに乗ったネダーランダー・オーガニゼーションも、デトロイトでシューベルト・ラファイエット劇場(Shubert-Lafayette Theatre)、グランド・リビエラ劇場(Grand Riviera Theater)、フィッシャー劇場(The Fisher Theater)を含めた合計5つの劇場を経営し、デイビットの5人の息子たちも劇場経営に携わるようになります。
長男:ジェームス・M・ネダーランダー(James M Nederlander)が会長となる
23歳になったジェームスは、シューベルト・ラファイエット劇場の会計士を担当するようになます。1945年に、ブロードウェイで公開されたアメリカ陸軍航空軍の制作によるモス・ハート戯曲「サモトラケのニケ(Winged Victory)」の全米ツアーが、シューベルト・ラファイエット劇場にて公演が行われた際に、ジェームスはブロードウェイから駆けつけていた多くの制作者関係と知り合い、ブロードウェイへの進出を考えるようになります。
創始者デイビットの死後、ニューヨークとサンフランシスコへ進出
1964年にデイビット・ネダーランダーが亡くなった後、息子ジェームス・M・ネダーランダーが劇団「ネダーランダー・オーガニゼーション」の会長の座を引き継ぎ、ここからネダーランダー兄弟経営が始まります。米国内の進出を考えていたネダーランダー兄弟は、劇団をデトロイトからニューヨーク市内へ拠点を移し、ハリーはサンフランシスコへ、ロバートとジョセフはデトロイトに残りました。ニューヨークに移ったジェームス・M・ネダーランダーは、1965年にパレス劇場(Palace Theatre)を買収、1965年から1985年の間に約10個にも及ぶ劇場を所有・運営し、劇団「シューベルトオーガニゼーション」の設立者シューベルト兄弟とともに、ブロードウェイ劇場街(Theater District)の基盤を作り上げ、ブロードウェイ界を代表する劇団へと生まれ変わります。また、ニューヨークとサンフランシスコへ移動しなかった残りの兄弟たちにより、シカゴを始めとする米国内各所やロンドンのウエスト・エンドにまで劇場を所有するようになり、ニューヨークだけなく全米に渡って大規模な劇場運営会社として名を広げることに成功しました。
2012年に100周年を迎えたネダーランダー・オーガニゼーション
1970年には、会長ジェームス・M・ネダーランダーの息子であるジェームス・L・ネダーランダー(James L. Nederlander)が、当時10歳の若さで劇場の所有オーナーとして活動を始め、1984年からプロデューサーとしてミュージカル制作を開始、後にネダーランダー・オーガニゼーションの社長に就任します。彼もまたミュージカル作品の制作に多才であり、現在に至るまで約80作品に及ぶミュージカル作品を手がけており、トニー賞ミュージカル作品賞を含む6部門受賞、6部門ノミネートの「モダン・ミリー(Thoroughly Modern Millie)」、トニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞、3部門でノミネートの「ウエストサイド物語(West Side Story)」、トニー賞ミュージカル作品賞を含む5部門受賞、8部門ノミネートの「キンキーブーツ(Kinky Boots)」など、数多くのトニー賞受賞ミュージカル作品を世に出し続けています。
彼らは強大な劇場運営会社として、ブロードウェイ界の絶対的な存在の地位を築き上げています。
Nederlander Organizationの業務体系
ネダーランダー・オーガニゼーションは、ニューヨーク・マンハッタン内で9つのオン・ブロードウェイ劇場を所有しており、主に所有劇場のオーナーや経営、その劇場で公演されたミュージカル作品のチケットやグッズ販売の売上で利益を上げている他、ミュージカル・オペラ・バレエの作品やコンサートの制作、慈善事業のサービスを行っています。その他活動を行っている分野についてご紹介します。
ジェームス・M・ネダーランダーによる慈善事業
ジェームス・M・ネダーランダー率いるネダーランダー・オーガニゼーションは、ニューヨークの商業を支える団体の慈善家及び評議員としても活動をしており、今までに、バレエ団体「ニューヨーク・フィルハーモニック(the New York Philharmonic)」、非営利組織「アメリカ俳優基金(Actors Fund of America)」、商業演劇の事業者団体「ブロードウェイ・リーグ(The Broadway League)」、非営利団体「アルツハイマー研究のフィッシャーセンター(The Fisher Center for Alzheimer’s Research Foundation)」、博物館「イントレピッド海上航空宇宙博物館(The Intrepid Sea Air Space Museum)」、ミュージカル「ハロー・ドーリー!」の主演女優を務めたベット・ミドラー(Bette Midler)が設立した非営利団体「ニューヨーク・レストレーション制作(The New York Restoration Project)」そしてニューヨークの旅行商業会社「ニューヨーク&カンパニー(NYC & Company)」など、様々な分野でニューヨークの経済を支えている団体の支援を行っています。
ミュージカル化が実現しなかったマイケル・ジャクソンの「スリラー(Thriller)」
ジェームスは、2009年1月にマイケル・ジャクソンの名曲「スリラー(Thriller)」の14分間ミュージックビデオをブロードウェイ化することを発表し、マイケル・ジャクソン本人も制作に関わるということで、当時のメディア・ミュージック界で大きな話題となりました。しかし、ビデオ「スリラー」の監督であるジョン・ランディス(John Landi)は、スリラーの版権は自分も半分有しているにも関わらず、ネダーランダー・オーガニゼーションとの合意の際に、自分は一切の相談を受けていないのは著作権の侵害であると主張し、ジョン・ランディスは、マイケル・ジャクソンとネダーランダー劇団に対して訴訟を起こしました。結果的にこの起訴は和解で終わりますが、同年6月にマイケル・ジャクソンが他界し、ミュージカル制作は実現しませんでした。
ニューヨーク・ヤンキースの後援者として
デトロイトに残り、弁護士として活躍をしていたネダーランダー家の三男ロバート・ネダーランダー(Robert Nederlander)は、1973年にニューヨークヤンキースを買収したジョージ・マイケル・スタインブレナー(George Michael Steinbrenner)とともに、ニューヨーク・ヤンキースの後援者として事業に参加します。その後、ヤンキースの所有者であるスタインブレナーは、1990年にマフィアと接触して不正情報流出を行ったのが発覚し、当初は永久、その後に2年間の資格停止処分が罰せれます。これををきっかけにロバート率いるネダーランダー・オーガニゼーションは、ヤンキース事業体の管理責任を負う「ゼネラル・パートナー(無限責任社員)」として、正式にヤンキースの運営活動を行っています。
最大手シューベルト・オーガニゼーションとのミュージカル共同制作
シューベルト・オーガ二ゼーションについてはコチラ ▶︎
National High School Musical Theatre:The Jimmy Awards
ジェームス・M・ネダーランダーとジェームス・L・ネダーランダーは、2009年にネダーランダー・オーガニゼーション内で、ダンス・演劇・歌手の育成を目的とした「National High School Musical Theatre Awards」という部門を設立しました。毎年1回行われるジミー賞(The Jimmy Award)に、毎年約100,000人以上の現役高校生が参加し、アメリカの演劇界の専門家がこの学生による演目を審査します。この賞の名称はジェームス・M・ネダーランダーの愛称「ジミー(Jimmy)」から由来しており、大会ごとにグランプリ2名が選出され、その他部門別にも各賞が与えられます。第9回目となった2017年のジミー賞では、ミュージカル「ライオンキング」の上演会場であるミンスコフ劇場(Minskoff Theatre)で行われ、司会役にはミュージカル「ディアー・エヴァン・ハンセン(Dear Evan Hansen )」でトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞したベン・プラット(Ben Platt)が務め話題となりました。