Music Box Theatre ミュージックボックス劇場の詳細

ミュージカル「シカゴ」の初演が上演された劇場。前列は見ずらく、席の幅が狭いなど注意点が多い。

ブロードウェイミュージカルのミュージックボックス劇場

ミュージックボックス劇場の基本情報

ミュージックボックス劇場(Music Box Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :239 W 45th St, New York, NY 10036(地図
45ストリート沿い、7番街と8番街の間
創設 :1921年9月
収容人数 :1,025人
座席表 :※クリックして拡大できます
ミュージックボックス劇場の座席表

ミュージックボックス劇場の行き方・アクセス

ミュージックボックス劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

N R W 路線の「49st」駅から徒歩6分ほど

1 2 3 7 A C E N Q R W 路線「42st – Times Square / Port Authority」駅から徒歩8分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

ミュージックボックス劇場の地図

以下は、ミュージック・ボックス劇場(Music Box Theatre)の地図です。

ミュージックボックス劇場の歴史

名前の由来はレヴュー作品「The Music Box Revue」

ミュージック・ボックス劇場(Music Box Theatre)は、1921年、劇団プロデューサーのサム・ハリス(Sam Harris)と作曲家アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)、そして当時の著名な建築家ハワード・クレーン(C. Howard Crane)によって創設されました。

元々ビジネスマンとして、ボクシングジムのマネージャーやのど飴のセールスマンを行っていたサム・ハリスは、1904年にブロードウェイミュージカルの父「ジョージ・M・コーハン(George M. Cohan)」とともに演劇「Little Johnny Jones」を制作し、劇場プロデューサーとして活動を開始します。

後に、名曲「ヤンキードゥードゥル(Yankee Doodle)」で成功を収めた彼は、ミュージカルレヴュー(大衆娯楽演芸)作品の制作を行うため、友人の有名作曲家アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)と1919年から演劇「The Music Box Revue」の制作を開始します。
その後、ハリスは自身が制作した演劇「The Music Box Revue」を公演する会場として、1921年に「ミュージックボックス劇場(The Music Box Theatre)」を建設、劇場名は作品名にちなんでと名付けられました。当時、映画産業が台頭してきた背景により、開業したばかりのミュージックボックス劇場がレヴュー(大衆娯楽演芸)公演を行う事に対し、誰もがすぐに閉鎖に追い込まれるだろうと思っていました。しかし、その思いをよそに、ミュージックボックス劇場は新しいレヴュー作品を公演する毎に順調に黒字運営を行っていました。

レヴュー(大衆娯楽演芸)作品とは

レヴュー作品とは、オペラやミュージカルに類似した形式で、1つの作品で音楽、舞踏、寸劇等を展開する大衆娯楽演芸のこと。しかし一貫したストーリー性はなく一般的なお題や時事ネタを扱います。19世紀末に流行し、楽しい出し物を揃えて歌やダンスのパフォーマンスを行っており、ミュージカルの前身とも言えます。

「シカゴ」が初めて公演された劇場

1926年、ミュージックボックス劇場で、モウリン・ダラス・ワトキンス(Maurine Dallas Watkins)原作の演劇「シカゴ」が初公演されました。

当時の公演回数は172回とロングランにならなかったものの、後に女優のグウェン・ヴァードン(Gwen Verdon)が同作品のミュージカル化の大きな可能性に気づき、夫である振付師のボブ・フォッシー(Bob Fosse)を経由して、原作者ワトキンスへ直談判しました。何度もミュージカル化の話を持ち掛けるも拒否され続けましたが、彼女の死後にミュージカル化の権利を獲得し、大ヒットミュージカル作品「シカゴ」が生まれました。

世界恐慌が襲うも、トニー賞受賞を含むヒット演劇作品の公演を続ける

1930年代に入ると、世界大恐慌がブロードウェイのショービジネス産業全体を襲い、不況に苦しむ人々の足は劇場から遠のきましたが、ミュージックボックス劇場へは客足が途絶えることはありませんでした。フランク・モーガン主演のフランスコメディ作品「トパーズ(Topaze)」は、仕事をなくした主人公が最後にはうっぷんを晴らして終わるという、時代にどこか合っているような作品だったため、当時恐慌に苦しんでいた人々の心を掴み、ヒットしました。

1950年代は、脚本家のウィリアム・インゲ(William Inge)がミュージックボックス劇場を本拠地として活動しおり、彼の作品を中心に、477回の公演を行った第7回トニー賞演劇演出賞受賞の「ピクニック(Picnic)」、478公演を行った第10回トニー賞4部門ノミネートの「バスストップ(Bus Stop)」、468公演を行った第12回トニー賞5部門ノミネートの「階段の上の暗闇(The Dark at the Top of the Stairs)」など、連続してヒット作に恵まれる事となります。

1978年、若かりし頃の俳優ヴィクター・ガーバー(Victor Garber:映画タイタニックの設計担当者アンドリューズ役を演じた)が出演していた演劇作品「デストラップ(Deathtrap)」の公演が始まり、サスペンス・コメディー作品としては最長ロングランの1,800公演を4年間で行い、第32回トニー賞4部門ノミネートの大ヒットとなりました。
2007年12月にはトレイシー・レッツによる戯曲「八月:オーセージ郡(August: Osage County)」の初公演が行われました。この作品は、ピューリッツァー賞戯曲部門受賞に加え、第62回トニー賞(演劇作品賞)を受賞し、主演女優のディアナ・デュナガン(Deanna Dunagan)はトニー賞の最優秀主演女優賞を受賞しました。

その後は演劇作品「Superior Donuts」を公演するなど、毎年を演目を変えて公演を行いました。ブロードウェイ劇場の中で比較的小さめなミュージックボックス劇場の規模感から見ても、これまでの歴史的にも、ミュージカル公演を行う劇場というよりは、むしろ演劇作品を多く公演しており、演劇作品に好まれる理想的な劇場として知られています。

ミュージックボックス劇場の建築スタイル

ハワード・クレーンが手がけた豪勢なデザイン

ミュージックボックス劇場を建てたハリスとバーリンは、劇場建設の際に費用を惜しまず、当時の著名な建築家ハワード・クレーン(C. Howard Crane)に依頼しました。ハワード・クレーンは生涯で250件以上もの劇場デザインを手掛け、オーガスト・ウィルソン劇場の建築を手掛けたことでも知られる超一流の建築家です。
イギリスのジョージ1世から4世までの時代(1714~1830年)に流行した新ジョージ王朝様式を採用して建築デザインされたミュージックボックス劇場は、外装全体が石灰岩で覆われているため特有の白さを持ち、シンプルでありながらも18世紀のイギリス建築を彷彿とさせるデザインが特徴的です。

この石灰岩を使用しているブロードウェイの劇場は、このミュージック・ボックス劇場のみであり、内装にも外装とマッチするような色合いを施しており、劇場全体の壁も統一感が出る同系色で仕上げられています。劇場内には噴水を設置し、客席はシンプルな内装デザインながらも、頭上には4個のシャンデリアを飾り優美な雰囲気を演出しています。

要注意!Music Box Theatreの座席特徴

通常ミュージカルの座席といえば、最前列や前から2~3列目はプレミアム席と思う方が多いかもしれませんが、ミュージカル・ボックス劇場は、舞台と最前列の間が非常に狭く、席が前すぎると舞台を見上げる形になります。さらに、この劇場は、客席の傾斜がとてもなだらかなので、目の前に大きな人が座ったら視界が塞がれやすいです。1階オーケストラ席中腹以降か、2階席前方がお勧めの座席となります。

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