ネダーランダー・オーガニゼーションの詳細

Nederlander Organization – ブロードウェイミュージカル劇場主のトップ3

ブロードウェイミュージカルのネダーランダー・オーガニゼーション

ネダーランダー・オーガニゼーションの基本情報

ネダーランダー・オーガニゼーション(Nederlander Organization)は、1912年にミシガン州デトロイトで、デイビット・ネダーランダー(David Nederlander)として設立されました。今日のブロードウェイの劇場運営会社の中で、シューベルト・オーガニゼーションに次いで2番目に大きい劇団で、ブロードウェイ番街に位置する主要劇場の内9つの劇場を所有、ニューヨーク市以外では、約20個の劇場を所有・運営しています。

ネダーランダー・オーガニゼーションの歴史

設立者 デイビット・ネダーランダーについて

デイビット・ネダーランダーがデトロイトで創立したデトロイト・オペラ・ハウス ユダヤ系アメリカ人の家系で生まれたデイビット・ネダーランダー(David Nederlander)は妻サラ・アップルバウムと6人の子ども(ハリー、ジェームス、ロバート、フレッド、ジョセフ、フランシス)とともにミシガン州デトロイトに定住していました。1912年、デトロイトオペラハウス(the Detroit Opera House)を99年契約で租借し、これをきっかけに、ネダーランダー家の家族経営として、劇場運営会社「ネダーランダー・オーガニゼーション(Nederlander Organization)」を設立します。

当時、ニューヨークで既に劇場ビジネスで勢力を上げていたシューベルト・オーガニゼーション(The Shubert Organization)が、他地域でも演劇ビジネス参入のため、デトロイトでも精力的にビジネス開拓していました。この流れに乗ったネダーランダー・オーガニゼーションも、デトロイトでシューベルト・ラファイエット劇場(Shubert-Lafayette Theatre)、グランド・リビエラ劇場(Grand Riviera Theater)、フィッシャー劇場(The Fisher Theater)を含めた合計5つの劇場を経営し、デイビットの子どもたちも劇場経営に携わるようになります。

長男:ジェームス・M・ネダーランダーが会長に

デトロイトのシューベルト・ラファイエット劇場 ネダーランダー家6人兄弟の内の1人であり、のちにネダーランダー・オーガニゼーションの重要人物となるジェームス・M・ネダーランダー(James M Nederlander)は、7歳の時から父デイビット・ネダーランダーのもとで劇団「ネダーランダー・オーガニゼーション」の掃除係として、兄弟の中で1番早くに働き始めました。ジェームスは、父の会社を手伝いつつも、デトロイトにある技術研究所大学に通いますが、法科大学院進学の準備中に中退、劇団の所有劇場であった「シューベルト・ラファイエット劇場 (Shubert-Lafayette Theatre)」のチケット窓口で、本格的に劇場運営の仕事を初めます。

23歳になったジェームスは、シューベルト・ラファイエット劇場の会計士を担当するようになます。1945年に、ブロードウェイで公開されたアメリカ陸軍航空軍の制作によるモス・ハート戯曲「サモトラケのニケ(Winged Victory)」の全米ツアーが、シューベルト・ラファイエット劇場にて公演が行われた際に、ジェームスはブロードウェイから駆けつけていた多くの制作者関係と知り合い、ブロードウェイへの進出を考えるようになります。

創始者デイビットの死後、ニューヨークとサンフランシスコへ進出

ネダーランダー・オーガニゼーションの所有劇場:ネダーランダー劇場 1964年にデイビット・ネダーランダーが亡くなった後、息子ジェームス・M・ネダーランダーが劇団「ネダーランダー・オーガニゼーション」の会長の座を引き継ぎ、ここからネダーランダー兄弟での経営が始まります。拠点をデトロイトからニューヨーク市内へ移し、ハリーはサンフランシスコへ、ロバートとジョセフはデトロイトに残りました。ニューヨークに移ったジェームス・M・ネダーランダーは、1965年にパレス劇場(Palace Theatre)を買収、1965年から1985年の間に約10個にも及ぶ劇場を所有・運営し、劇団「シューベルトオーガニゼーション」の設立者シューベルト兄弟とともに、ブロードウェイ劇場街(Theater District)の基盤を作り上げ、ブロードウェイ界を代表する劇団へと生まれ変わります。また、ニューヨークとサンフランシスコへ移動しなかった残りの兄弟たちにより、シカゴを始めとする米国内各所やロンドンのウエスト・エンドにまで劇場を所有するようになり、ニューヨークだけなく全米に渡って大規模な劇場運営会社として名を広げることに成功しました。

ジェームス・M・ネダーランダーは、数多くのミュージカルの制作にも携わっており、引退するまでの間に約106に及ぶ作品を手がけました。代表作として、トニー賞ミュージカル作品賞受賞「ナイン(Nine)」、トニー賞ミュージカル・リバイバル作品賞を含む4部門で受賞、4部門でノミネートした「王様と私(The King and I)」、トニー賞ミュージカル・リバイバル作品賞ノミネート「アニー(Annie)」など数多くのトニー賞受賞、ノミネート作品が挙げられ、また2004年のトニー賞では、彼自身がトニー賞特別功労賞に任命されるなど、ミュージカル舞台プロデューサーとしての名誉も獲得しました。

2012年に100周年を迎えたネダーランダー・オーガニゼーション

ネダーランダー・オーガニゼーションのロゴ 1970年には、会長のジェームス・M・ネダーランダーの息子であるジェームス・L・ネダーランダー(James L. Nederlander)が、当時10歳の若さで劇場の所有オーナーとして活動を始め、1984年からプロデューサーとしてミュージカル制作を開始、後にネダーランダー・オーガニゼーションの社長に就任します。彼もまたミュージカル作品の制作に多才であり、現在に至るまで約80作品に及ぶミュージカル作品を手がけており、トニー賞ミュージカル作品賞を含む6部門受賞、6部門ノミネートの「モダン・ミリー(Thoroughly Modern Millie)」、トニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞、3部門でノミネートの「ウエストサイド物語(West Side Story)」、トニー賞ミュージカル作品賞を含む5部門受賞、8部門ノミネートの「キンキーブーツ(Kinky Boots)」など、数多くのトニー賞受賞ミュージカル作品を世に出し続けています。

2012年に100周年を迎えたネーダーランダー・オーガニゼーションは、現在ロンドン・ウエストエンド、シカゴ、ブロードウェイ、ブロードウェイ以外の米国内に劇場を所有しており、ほぼ毎年ミュージカル作品を世に出し続けています。強大な劇場運営会社として、ブロードウェイ界の絶対的な存在の地位を築き上げています。

ネダーランダー・オーガニゼーションの業務内容

ネダーランダー・オーガニゼーションは、ニューヨーク・マンハッタン内で9つのオン・ブロードウェイ劇場を所有しており、主に所有劇場のオーナーや経営、その劇場で公演されたミュージカル作品のチケットやグッズ販売の売上で利益を上げている他、ミュージカル・オペラ・バレエの作品やコンサートの制作、慈善事業のサービスを行っています。その他活動を行っている分野について紹介します。

ジェームス・M・ネダーランダーによる慈善事業

カリフォルニア州 「グリーク・シアター」 ジェームス・M・ネダーランダー率いるネダーランダー・オーガニゼーションは、ニューヨークの商業を支える団体の慈善家及び評議員としても活動をしており、今までに、バレエ団体「ニューヨーク・フィルハーモニック(the New York Philharmonic)」、非営利組織「アメリカ俳優基金(Actors Fund of America)」、商業演劇の事業者団体「ブロードウェイ・リーグ(The Broadway League)」、非営利団体「アルツハイマー研究のフィッシャーセンター(The Fisher Center for Alzheimer’s Research Foundation)」、博物館「イントレピッド海上航空宇宙博物館(The Intrepid Sea Air Space Museum)」、ミュージカル「ハロー・ドーリー!」の主演女優を務めたベット・ミドラー(Bette Midler)が設立した非営利団体「ニューヨーク・レストレーション制作(The New York Restoration Project)」そしてニューヨークの旅行商業会社「ニューヨーク&カンパニー(NYC & Company)」など、様々な分野でニューヨークの経済を支えている団体の支援を行っています。

また、ジェームスは、ニューヨーク郊外で野外コンサート会場の建築にも携わっています。過去に、ニュージャージー州の「PNC バンク・アーツ・センター(PNC Bank Arts Center )」、メリーランド州の「メリウェザー・ポスト・パビリオン(Merriweather Post Pavilion )」、カリフォルニア州の「パシフィック敵情(Pacific Amphitheatre)」や米国を代表する歌手トニー・ベネット(Tony Bennett)やフランク・シナトラ(Frank Sinatra)など数多くの著名人が出演したカリフォルニア州の「グリーク・シアター(Greek Theatre)」の建築にも貢献し、ミュージカルだけでなく米国の音楽を支えた人物としても有名です。

ミュージカル化が実現しなかったマイケル・ジャクソンの「スリラー」

ジェームスは、2009年1月にマイケル・ジャクソンの名曲「スリラー(Thriller)」の14分間ミュージックビデオをブロードウェイ化することを発表し、マイケル・ジャクソン本人も制作に関わるということで、当時のメディア・ミュージック界で大きな話題となりました。しかし、ビデオ「スリラー」の監督であるジョン・ランディス(John Landi)は、スリラーの版権は自分も半分有しているにも関わらず、ネダーランダー・オーガニゼーションとの合意の際に、自分は一切の相談を受けていないのは著作権の侵害であると主張し、ジョン・ランディスは、マイケル・ジャクソンとネダーランダー劇団に対して訴訟を起こしました。結果的にこの起訴は和解で終わりますが、同年6月にマイケル・ジャクソンが他界し、ミュージカル制作は実現しませんでした。

ニューヨーク・ヤンキースの後援者として

デトロイトに残り、弁護士として活躍をしていたネダーランダー家の三男ロバート・ネダーランダー(Robert Nederlander)は、1973年にニューヨークヤンキースを買収したジョージ・マイケル・スタインブレナー(George Michael Steinbrenner)とともに、ニューヨーク・ヤンキースの後援者として事業に参加します。その後、ヤンキースの所有者であるスタインブレナーは、1990年にマフィアと接触して不正情報流出を行ったのが発覚し、当初は永久、その後に2年間の資格停止処分が罰せれます。これををきっかけにロバート率いるネダーランダー・オーガニゼーションは、ヤンキース事業体の管理責任を負う「ゼネラル・パートナー(無限責任社員)」として、正式にヤンキースの運営活動を行っています。

最大手シューベルト・オーガニゼーションとのミュージカル共同制作

ウィンターガーデン劇場で公演中のスクール・オブ・ロック 1912年設立から数多くのミュージカル作品を生み出してきたネダーランダー・オーガニゼーションですが、実は2015年12月公開のミュージカル「スクール・オブ・ロック(School of Rock)」で、ブロードウェイ最大の劇場運営会社「シューベルト・オーガニゼーション」と共同制作をしています。シューベルト・オーガニゼーションの所有劇場ウィンター ガーデン劇場(Winter Garden Theatre)で、監督アンドリュー・ロイド=ウェバー(Andrew Lloyd Webber)によって制作が決まった当初、アンドルーは親しい関係にあったネダーランダー・オーガニゼーションも制作に加わることを提案し、2つの団体の共同制作が実現しました。今作品は、トニー賞ミュージカル作品賞を含む4部門でノミネートしました。

2016年には、監督アンドリュー・ロイド=ウェバーによるミュージカル・リバイバル版「キャッツ(Cats)」で、再び2社による共同制作が行われました。1982年初演のキャッツで約18年間の公演を経て、ブロードウェイロングラン作品の1つとして愛された「キャッツ」のリバイバル版は、約1年間の期間限定公演で約$6700万ドル(約74億円)の売上げを達しました。最も巨大な2つの劇場運営会社による共同制作は、ブロードウェイを代表する大ヒット作品となっています。

ネダーランダー・オーガニゼーション(ネーデルランド)が所有する劇場リスト

ブロードウェイの3大劇場主の1つ、シューベルト・オーガニゼーションが運営しているブロードウェイの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。

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