ウォルター・カー劇場の基本情報
ウォルター・カー劇場(Walter Kerr Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 219 W 48th St, New York, NY 10036(地図) 48ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間 |
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創設 : | 1921年 |
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収容人数 : | 947人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ウォルター・カー劇場の行き方・アクセス
ウォルターカー劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩3分ほど
路線の「49st」駅から徒歩3分ほど
ウォルター・カー劇場の地図
以下は、ウォルター・カー劇場(Walter Kerr Theatre)の地図です。
ウォルター・カー劇場の歴史
ウォルターカー劇場の旧名は「リッツ劇場」
ウォルター・カー劇場(Walter Kerr Theatre)は、1921年、劇場が多く集まるブロードウェイ劇場街(シアター・ディストリクト:Theater District)の一角に、アンバサダー劇場(Ambassador Theatre)の姉妹劇場として「リッツ劇場(Ritz Theatre)」という名で運営を開始しました。
創設に携わったのは、数々の劇場を共に手掛けた名コンビである
シューベルト・オーガニゼーション(Shubert Organization)と建築家
ハーバート・クラップ(Herbert J. Krapp)でした。シューベルト・オーガニゼーション(The Shubert Organization)は、1900年に設立以来ブロードウェイの中心となる劇場約20個以上を所有し、最も巨大な劇場運営団体としてブロードウェイ界を代表する団体です。
放送局CBSとABCの収録スタジオとして使用される
リッツ劇場創設後は、ブロードウェイミュージカル作品の会場として営業していましたが、1943年から1965年の間は、アメリカ合衆国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する2大放送局CBSとABCによって、ラジオやテレビ番組のスタジオとして使用が開始されていました。
1970年代になると映画館としても使用されますが、1983年にミュージカル劇場として復活しました。それ以降は、数々のミュージカル作品を上演し続け、劇場名「リッツ劇場」として上演した最後の作品は、1989年初演の「Chu Chem」でした。
ウォルター・カー劇場に改名
1980年より劇場のオーナーとなったユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)は、1990年、約2億ドルをかけて劇場を改装し、当時ミュージカル制作・作家・評論家として多分野で活躍したウォルター・カー(Walter Kerr)にちなんで、現在の「ウォルターカー劇場(Walter Kerr Theatre)」に改名しました。
ウォルター・カーは、1978年に新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威のあるピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)を受賞、その後1983年には、ブロードウェイの発展に大きく寄与した功績を称えるアメリカン劇場殿堂(American Theater Hall of Fame)にも殿堂入りを果たしており、劇場名の抜擢されるに至りました。
多くのトニー賞受賞作品を輩出
その後、ウォルターカー劇場は多くのトニー賞受賞作品を輩出します。
中でも、1993年5月4日~1994年12月4日公開の「Angels in America: Millennium Approaches」は、1993年と1994年の
2年連続でトニー賞演劇作品賞を獲得するという偉業を成しています。
2010年に公演されたミュージカル「A Little Night Music」は、同年の第64回トニー賞授賞式で、トニー賞ミュージカル・リバイバル作品賞とトニー賞ミュージカル助演女優賞の2つにノミネート、さらに、主演女優を演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズ(Catherine Zeta-Jones)は、トニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞する快挙となりました。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズは、現在アンバサダー劇場にて公演中のミュージカル「シカゴ(Chicago)」の原作となる2002年公開の映画版「シカゴ」でヴェルマ・ケリーを演じ、アカデミー助演女優賞を受賞をした大人気女優です。
ウォルター・カー劇場の建築スタイル
建築家ハーバート・クラップによるデザイン
ウォルターカー劇場を建設した建築家
ハーバート・クラップ(Herbert J. Krapp)は、シューベルト劇場やニュー・アムステルダム劇場などのブロードウェイ主要劇場を建設し、19世紀に活躍した著名なブロードウェイ劇場建築士の1人です。
ウォルターカー劇場は、劇場としては小さめのサイズで建設されましたが、彼の得意分野とする建物の空間が持つ可能性を最大限に引き出す能力がウォルターカー劇場にも上手く使われました。劇場自体は、金の葉とイタリアン唐草模様をを使用し
ネオルネッサンス建築(Neo-Renaissance style)で、19世紀の気品あるヨーロッパ中世風に仕上げました。
ネオルネッサンス建築とは
ネオルネッサンス建築(Neo-Renaissance style)とは、ルネッサンス・リバイバル建築とも呼ばれ、15~17世紀初めてイタリアで流行した様式が、19世紀前半にヨーロッパで再び作られるようになり、現在では日本を含む世界各地へ広がってます。正円アーチ、左右対称、水平線の強調など、ルネサンス様式の特徴を基本としつつ、中世の建築の荘厳さに各地方の新しい建築方式を交えたものです。
ネオルネッサンス建築の代表的な建物は、オーストリアのウィーン国立歌劇場、チェコの国民劇場、米国のテキサス州会議事堂があ、日本では、1902年(明治35年)に建設された京都市の中京郵便局がこの様式建築が使用されています。
劇場オーナー:ユージャムシン劇団について
ブロードウェイで3番目に大きな劇場運営会社
ウォルターカー劇場のオーナーであるユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)は、ブロードウェイの中で3番目に大きな劇場運営会社で、ブロードウェイ番街に位置する主要劇場の内5つの劇場を所有しています。
ユージャムシン劇団は、1956年にジェームス・H・ビンガー(James H. Binger)と彼の妻バージニア・M・ビンガー(Virginia M Binger)によって設立されました。
ジェームス・H・ビンガーは元々、ミネソタ州ミネアポリスで弁護士をしていましたが、彼のクライアントであった電子制御システムや自動化機器を製造販売会社ハネウェル(Honeywell)に引き抜かれニューヨークに進出、1961年に社長就任、1965年には会長に就任しました。
ジェームスがユージャムシン劇団を設立するきっかけとなったのは、彼の妻バージニア・M・ビンガーの父であり、世界的化学・電気素材メーカー3M社(3M Company)の設立者ウィリアム・L・マクナイト(William L. McKnight)が、当時ニューヨークとボストンに所有していた劇場を売りに出すため、ジェームスに相談したのが始まりでした。
ジェームスは、ニューヨークの劇場はビジネスになると断言をし、ボストンにある劇場のみ売却し、マクナイト氏がニューヨークに所有していたセントジェームズ劇場(St. James Theatre)をそのまま保持しました。後にマクナイト氏はセントジェームズ劇場の所有権を娘夫婦であるジェームスとバージニアに譲り、これをきっかけにユージャムシン劇団の設立へと発展していきました。
ユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)の名前の由来は、ジェームスとバージニアの3人の子ども「Judith, James, and Cynthia」の頭文字のイニシャルを取って作られました。
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