アンバサダー劇場の基本情報
アンバサダー劇場(Ambassador Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 219 W 49th St, New York, NY 10019(地図) 49ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間 |
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創設 : | 1921年2月11日 |
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収容人数 : | 1,120人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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アンバサダー劇場の行き方・アクセス
アンバサダー劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩3分ほど
路線の「49st」駅から徒歩5分ほど
アンバサダー劇場の地図
以下は、アンバサダー劇場(Ambassador Theatre)の地図です。
アンバサダー劇場の歴史
シューベルト兄弟とクラップが最初に建築した4つの劇場
アンバサダー劇場(Ambassador Theatre)は、建築家ハーバート・J・クラップ(Herbert J. Krapp)とシューベルト兄弟(Shubert Brothers)によって建築され、シューベルト兄弟が当時ブロードウェイの48丁目、49丁目に建築したユージンオニール劇場、ウォルターカー劇場、49丁目劇場そしてアンバサダー劇場を含めた4つの劇場の内、1番最初の劇場として登場しました。
アンバサダー劇場、ユージンオニール劇場、ウォルターカー劇場は現在も同所在位置にて劇場の運営を行っていますが、49丁目劇場のみ1940年に閉鎖しています。
シューベルト兄弟はブロードウェイの劇場の歴史からは切っても切れない存在で、1920年設立から現在までに合計約100個以上の劇場を所有し、ミュージカル作品をニューヨークからアメリカ全土に広めた人物です。また彼らは、アメリカ最古の劇場運営団体「シューベルトオーガニゼーション(The Shubert Organization)」の設立者でもあり、ブロードウェイで最大の劇場オーナーとしてブロードウェイ界の様々な劇場運営に携わっています。
NBCによるテレビスタジオや映画館として
1921年2月11日公開のミュージカル「The Rose Girl」とともに開幕したアンバサダー劇場ですが、1929年に起こった世界大恐慌の影響を受け、シューベルト兄弟は1935年に一度この劇場を売却しました。その後約20年間は映画館、後にアメリカ3大ネットワークの1つ「NBC」やテレビ番組のネットワーク「デュモント(DuMont Television Network)」によるテレビスタジオとして使用されていました。
他にもシューベルト兄弟が所有しているエセル・バリモア劇場、ロング エーカー劇場、コート劇場もテレビやラジオのスタジオとして使用されていた時期があります。
その後1956年に、アンバサダー劇場の所有権を取り戻したシューベルト兄弟は、再びミュージカルの劇場として使用を開始しました。1996年4月25日から1999年1月10日公演の「Bring in ‘da Noise, Bring in ‘da Funk」は、公演回数計1,135回を記録しミュージカルロングラン作品として、また1996年のトニー賞ではミュージカル演出賞を含む計3部門で受賞、5部門でノミネートを獲得した大ヒット作品を生み出しました。
アンバサダー劇場の独特な構造と建築様式
メザニン席後方が一部伸びた座席構造
周辺の幾つもの劇場をデザイン設計してきたハーバード・J・クラップですが、アンバサダー劇場は斜めに傾いた土地の上に建てられたため、劇場の舞台が狭く、六角形の形をした劇場の作りをデザインするのは彼にとって大きな挑戦でした。
劇場の舞台は、通常客席の正面に設置する事が主流とされていますが、傾いた土地に建てられたアンバサダー劇場では、正面に舞台を設置すると視界制限のある座席が生まれ、劇場全体の空間を上手く利用できませんでした。
そこで、建物の空間が持つ可能性を最大限に引き出す能力を得意分野としていたクラップは、ステージを正面でなく少し横にずらすことで、全ての座席から舞台を見ることができるよう設計しました。
アダム様式とプロセニアムアーチ
アンバサダー劇場の外見はレンガ調のシンプルなデザインを採用し、内装にはハーバード・J・クラップが得意とするアダム様式(Adam style)を壁・天井・ボックス席・出入り口また通路など劇場全体の室内装飾として用いりました。アダム様式は、細部まで凝った彩色装飾に、スタッコと呼ばれる大理石に似た塗り壁材料を組み合わせた装飾が特徴的なイギリスの伝統的な様式です。
また、舞台設計には、「Grid」と呼ばれる金色の鉄格子を使用した「プロセニアム・アーチ(Proscenium Arch)」建築方式を用いています。プロセニアム・アーチは、舞台を一方向から見る額縁がある舞台で、舞台と客席の境界が区分されている建築様式のことを指し、ハーバード・J・クラップ自身が建築したマジェスティック劇場やサミュエル J フリードマン劇場など他劇場にも、このプロセニアム・アーチ様式とアダム様式の組み合わせを多く使用しています。
ブロードウェイの劇場の建築デザイナー、ハーバード・J・クラップとは
ハーバード・J・クラップは当時の最高峰の建築家のハーツ&タラントの事務所で見習いとして勤務し、ライセウム劇場、シューベルト劇場(Shubert Theatre)、ブース劇場(Booth Theatre)、ニュー・アムステルダム劇場(New Amsterdam Theatre)、ロングエーカー劇場(Longacre Theatre)等の設計に関わりました。
1915年、クラップは事務所を離れ独立し、1912年から1916年までの間にシューベルト兄弟と直接提携して活動を始め、最終的に兄弟にとって最も重要な建築家となり、その後の劇場制作の際には常に関わってくる存在となりました。またクラップは、マジェスティック劇場の建設者チャニン兄弟(Chanin Brothers)の依頼に基づく劇場設計も行っています。
2003年公演開始のロングラン作品「シカゴ」
アンバサダー劇場と聞くと真っ先に思い浮かべるのはミュージカル「シカゴ」ではないでしょうか。シカゴは2003年1月29日からアンバサダー劇場で変わらず公演が行われ続けているロングラン作品第2位を誇るミュージカル作品です。
1975年に初演、トニー賞受賞、映画化もされた名作
1927年にサイレント映画「シカゴ」が公開され、アメリカ社会を痛烈に風刺したこの映画は、当時の腐敗した政治に辟易していた民衆の心を掴んだ頃まで遡ります。
その後も関連映画等数多くの作品が世に出回り、1975年、オリジナル「シカゴ」のブロードウェイ公演が開幕されトニー賞のベストミュージカル作品賞にノミネート、1977年まで、わずか2年間でしたが936公演が上演がされました。
1979年は、ウエスト・エンドに進出し、1996年には再びブロードウェイに舞い戻り、トニー賞で8部門ノミネート、6部門受賞。また同作品映画版が2003年アカデミー最優秀映画賞を受賞するなど芸術賞総なめにしました。
みどころは何といっても名曲とダンスにジャズ。特に鬼才ボブ・ホッシ-(Bob Fosse)の振り付けによるゴージャスでダイナミックなダンスはブロードウェイ・ミュージカルでもこの作品でしか見られません。ブロードウェイミュージカル「シカゴ」は、アメリカ発のミュージカルとしても最長を誇る作品です。
ブロードウェイ「シカゴ」に主演を果たした米倉涼子
2012年7月には、女優:米倉涼子さんがブロードウェイ「シカゴ」の舞台に主演デビューを果たし、日本人がブロードウェイの舞台に立ったのは1958年にナンシー梅木以来となる実に約54年ぶりでした。 更に、日本人がアジア人以外のアメリカ人をを演じるのは史上初の快挙という事で多くのメディアに取り上げられました。あっとブロードウェイの姉妹サイト「あっとニューヨーク」では、アンバサダー劇場最前列チケットを販売しました。
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