オルフェウム劇場の基本情報
オルフェウム劇場(オーフィアム劇場 Orpheum Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 126 2nd Ave, New York, NY 10003(地図) 2番街沿い、E 7ストリートと8ストリートの間 |
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創設 : | 1904年 |
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収容人数 : | 347人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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オルフェウム劇場の行き方・アクセス
オルフェウム劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「Astor Pl」駅から徒歩8分ほど
路線の「8st – NYU」駅から徒歩10分ほど
オルフェウム劇場の地図
以下は、オルフェウム劇場(Orpheum Theatre)の地図です。
オルフェウム劇場の歴史
エンターテインメントの会場から劇場へ
オルフェウム劇場(オルフェルム劇場 Orpheum Theatre)は、1880年代からコンサート劇場が多く集まっていたイースト・ビレッジ地区に、
イディッシュ劇場街(Yiddish Theatre District)の一部として、1904年に創設されました。
イディッシュ劇場街とは、2番街(現在のイースト・ビレッジ)を中心に22個のイディッシュ劇場と2つの演劇会場で形成され、主に、ユダヤのイディッシュ人によって作成された演劇・クラシック・コメディ・オペラまたバーレスクやミュージカルとして使用されていました。
また、別名「Jewish Rialto(ユダヤ人の劇場街)」の愛称で、ニューヨークで一番古い庶民向けエンターテインメントの会場として親しまれていました。
※Rialto(リアルト)は、ブロードウェイのような劇場街を意味します
オルフェウム劇場も、創設当時は一夜で約20~30公演をするほどの人気を博していましたが、第二次世界大戦が終演するとブロードウェイ黄金時代が巻き起こり、ユダヤ人向けの演劇を主としていたイディッシュ劇場街は人気が激減します。そこで、1920年代には映画館として使用開始、元々座席数299席だったオルフェウム劇場は数年を掛けて再建築され、座席数560席まで拡大しました。
1958年には、映画館から正式にオフ・ブロードウェイ劇場へと変わり、子ども向けミュージカル公演を開始したことで、徐々に昔の人気を取り戻していきます。初めて上演されたブロードウェイミュージカルは、1959年11月初公開の「Little Mary Sunshine」でした。
19世紀にマンハッタン内で繁栄したユダヤ人によるイディッシュ文化
ユダヤ人グループ会社「イディッシュ劇場(Yiddish Theatre)」は、1890年~1940年の間に、アメリカ国内に200以上の劇場を建設し、マンハッタンの南東部(現在のイースト・ビレッジ)では、2番街を中心に複数の劇場を建設しました。この地域が後にイディッシュ劇場街(Yiddish Theatre District)と呼ばれるようになります。
イディッシュ劇場を含むイディッシュ文化は、13世紀以後キリスト教徒による迫害から逃れた東ヨーロッパに移住したアシュケナジ系のユダヤ人によって作られ、主に東ヨーロッパで発展を遂げました。イディッシュ語は、アラブ語とヘブライ語の単語を交えたドイツ語の方言の1つであり、
イディッシュ(Yiddish )はユダヤ人という意味を示すため、別名「ユダヤドイツ語」とも呼ばれています。
現在、イディッシュ文化の中心は、アメリカ合衆国・イスラエル・南アフリカへと移り変わり、世界中で約1億人以上の人が第1言語として話しています。
もともと、劇場が建築される前の16世紀から18世紀までは、ユダヤ文化の一つとしてイディッシュ演劇は浸透しており、19世紀初頭に、主にアシュケナジムを母国語とする地域と、中東欧地区にイディッシュ劇場が建築されました。
19世紀終わりから第二次世界大戦(1939年~1945年)の間にベルリン・ロンドン・パリ・アルゼンチンそしてニューヨークの世界各国にイディッシュ劇場の建築が開始、ニューヨークには、2番街(現在のイースト・ビレッジ)を中心に22個のイディッシュ劇場と2つの演劇会場で形成されたイディッシュ劇場街が建築されました。
イディッシュ劇場がイースト・ビレッジに誕生したきっかけ
17世紀頃のイースト・ビレッジは、元々オランダ人の所有地でしたが、19世紀中頃には多くの貧しいアイルランド人やドイツ人が移住し始め、20世紀初頭にはウイーン、ベルリンに次いでドイツ人の多い地域でした。
ところが、1904年にジェネラル・スローカム(General Slocum)号という名のニューヨーク港遊覧船が火災事故を起こし、乗船していた約1000人以上のドイツ系アメリカ人が死亡するという大惨事が起こりました。
のちにこの大惨事が、当時イースト・ビレッジに移住していたドイツ系社会の消滅を引き起こし、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人などが移住が始まります。ユダヤ人の劇場がこの地域に建築されたのをきっかけに、ユダヤ文化を代表する地域として認知されるようになります。
1925年に発行されたニューヨーク・タイムズ紙では、「イディッシュ劇場街は、イディッシュ語を話す東ヨーロッパ人だけでなく、2番街のエンターテインメントの一角として、アメリカ内で独自の発展を遂げた立派なブロードウェイ劇場である」と評され、ニューヨークのブロードウェイの歴史の1つとして認められました。現在も、イディッシュ劇場含めイースト・ビレッジ各所に点在し、その他ウクライナ料理店や教会の東ヨーロッパ的雰囲気が残っています。
1980年台に人気オフ・ブロードウェイ劇場へ
1980年代~1990年代になると、オルフェウム劇場は、座席数347席を対応したさらなる劇場向けの再建築がされ、オフ・ブロードウェイ劇場の中では、ミュージカル劇場収容人数第3位の大きさに生まれ変わりました。
1982年の改築後、最初に公演がされたオフ・ブロードウェイ「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(Little Shop of Horrors)」は、元々オフ・オフ・ブロードウェイとして全米各地で上演されていましたが、オルフェウム劇場での公演がきっかけに、オフ・ブロードウェイへの進出が決まりました。公演は5年間の上演で約2,209回にも及び、当時のオフ・ブロードウェイロングラン作品の歴史で約3位の記録を残しました。※現在はオフ・ブロードウェイ歴代第18位。
オルフェウム劇場の代表作
1994年からストンプ(STOMP)公演開始
現在公演中の「ストンプ(stomp)」は、1994年からオルフェウム劇場にて公演を開始、ロングラン作品の1つです。ストンプは、本来楽器ではないものを使って行われるアクロバティックなパフォーマンスショーですが、楽器のリアルな音をマイクなしで使用して行うため、通常の大きさの劇場では音を上手く出すことができませんでした。そこに制作チームが目を付けたのが、もともと映画館に使用していたオルフェウム劇場です。
オルフェウム劇場は、座席までリアルな楽器の音を届けるのに丁度良いサイズで、また、
スピーカーよりも音の良さに影響を与える劇場の造りが、楽器をメインとする劇に最適でした。内装は、ストンプならではの楽器を使用した内装になっており、劇場の雰囲気からストンプを楽しむことができます。
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