ウィンター・ガーデン劇場の基本情報
ウィンター・ガーデン劇場(Winter Garden Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 1634 Broadway, New York, NY 10019(地図) ブロードウェイ沿い、50ストリートと51ストリートの間 |
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創設 : | 1911年3月10日 |
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収容人数 : | 1,498人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ウィンター・ガーデン劇場の行き方・アクセス
ウィンター・ガーデン劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「50 St」駅から徒歩2分ほど
路線の「49st」駅から徒歩5分ほど
ウィンター・ガーデン劇場の地図
以下は、ウィンター・ガーデン劇場(Winter Garden Theatre)の地図です。
ウィンター・ガーデン劇場の歴史
元はヴァンダービルトが経営する馬の競り市(売買所)だった
ブロードウェイ沿いに立地するウィンター・ガーデン劇場(Winter Garden Theatre)は、1896年の当時は馬主で競馬場の経営者としても有名な、鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルトの孫、ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト(William Kissam Vanderbilt )によって創設された馬の交換場(Horse Exchange)でした。1890年代、当時は街中を馬車が駆け回っている時代で、ニューヨーク各地でこういった馬の売買所が建築され、タイムズスクエアは馬の交換場の中心街として栄えていました。
創立者:ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト
ウィンターガーデン劇場の創立者であるウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトは、アメリカの海運業と鉄道業で富と財を成した実業家コーネリアス・ヴァンダービルト(Cornelius Vanderbilt)の孫であり、彼らヴァンダービルト家は、19世紀前半に社会的地位を獲得し、世界一裕福な鉄道王の一族として有名でした。
この時代に富を築き上げたロックフェラーセンターを建設した石油王ジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller)、カーネギー鉄鋼会社を創業し、事業で得た富でカーネギー・ホールを建設した鋼鉄王アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)、そして、自動車会社フォード・モーターの創設者である自動車王ヘンリー・フォード(Henry Ford )などと共にアメリカの産業革命を起こした重要人物の子孫の1人です。
しかし、その僅か15年後、自動車の出現により馬車は徐々に街から姿を消し、1911年、馬の交換所として一世を風靡したウィンターガーデンは、ブロードウェイ最大の劇場団体「シューベルト・オーガニゼーション」の運営者シューベルト兄弟によって買収され劇場として営業を開始します。
19世紀からブロードウェイにて流行り始めたミュージカルは、瞬く間にタイムズ・スクエア一体の劇場開発をもたらし、第3世ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトまで続いた一族の栄光は、ついに終息しました。ウィンター・ガーデン劇場は、1928年から1933年、そして1945年に一時的に映画館に転身しましたが、その後劇場として営業を再開しました。
ウィンター・ガーデン劇場の建築スタイル
ブロードウェイで初めて舞台にランウェイ(花道)を採用
1911年にシューベルト家の手に移り、劇場として営業を再開したウィンターガーデンは馬の交換所を劇場として再建するにあたり、建設家ウィリアム・アルバート・スワジー(William Albert Swasey)が改築を担当し、英国の庭園をモチーフにした劇場に生まれ変わりました。英国の庭園をモチーフにしたと聞けば厳かで伝統的な劇場を想像するかもしれませんが、実際の劇場内部の舞台設計はその当時としては型破りなものでした。
元々の馬の売買所を活かした建築は、当時の屋根をそのまま残し、天井をスカイブルーのキャンバスで覆い、壁に格子を採用しました。また、舞台の幅が非常に広かったウィンターガーデン劇場は、劇場開幕の1年後に舞台上にランウェイ(花道)を取り付け、舞台を広々と使った演技、そして役者と観客の距離感を限りなく近づけた舞台設計が特徴でした。
一時はステージ上に水槽を設置するなど、当時では珍しい演出を積極的に展開をし、劇や舞台の形式が変わるに連れ、1920年代にウィンターガーデン劇場はまたしても時代に合わせた変貌を遂げます。
ウィンターガーデン劇場開幕後から12年後の1923年に、建設家
ハーバート・クラップ(Herbert J. Krapp)の手により劇場の全体的な改装工事を行いました。残念ながらその際にランウェイは取り外されてしましましたが、馬の交換所として繁盛していた頃の内装を復刻し、18世紀に流行したイギリスの伝統的なアダム様式(Adam style)を用いた新しいウィンター ガーデン劇場へと生まれ変わりました。
アダム様式とは
アダム様式(Adam style)は、18世紀頃にイギリスの建築家、室内装飾家のアダム兄弟が確立した室内装飾様式のこと。イギリスの伝統的な新古典主義(Neoclassical Architecture)をもとに、細部まで凝った彩色装飾と、スタッコと呼ばれる大理石に似た塗り壁材料を組み合わせた装飾が特徴です。
新古典主義は、物に対しての原始的な純粋さの回帰によって真の美を表現することを目的とした建築主義で、18世紀のフランスから始まり、代表的する建築物としてパリのエトワール凱旋門(Arc de Triomphe)やローマのパンテオン(Pantheon)が挙げられます。
ウィンター・ガーデン劇場の代表作
ウエストサイド物語、42丁目、マンマ・ミーアなど人気作品を上演
ウィンターガーデン劇場と言えばミュージカル「
キャッツ(CATS)」の劇場で有名ですが、1982年10月7日の初演から約18年間、約7,500公演にも及ぶ上演回数は歴代ロングラン作品の記録を保持しています。
18年もの長期公演のため、劇場内部も「キャッツ」の舞台設計にあわせデザインされましたが、「キャッツ」公演終了後、建設家フランシスコ・ラッソ(Francesca Russo)の手により、約数百万ドルの経費を掛けて、ウィンターガーデン劇場建築当初の1920年代の英国の庭園をモチーフにした劇場本来の姿に戻りました。
2002年には、アメリカ最大の市場シェアの自動車メーカーゼネラルモーターズ(General Motors)が劇場のスポンサーになったのをきっかけに、劇場名を「キャデラックウィンターガーデン劇場(Cadillac Winter Garden Theatre)」に改名、名前の由来は、ネラルモーターズが展開している高級車ブランド「キャデラック(Cadillac)」から来ています。2007年のスポンサー契約終了後は、劇場名「ウィンター・ガーデン劇場」に戻りました。
ウィンターガーデン劇場ではその後も、ブロードウェイ・ミュージカル史上に残る名作「ウエストサイドストーリー」「42丁目」やトニー賞ノミネート作品「マンマ・ミア」などを次々と上演し、2015年11月には大ヒット映画「スクール・オブ・ロック」をミュージカル化して上演しました。
スクール・オブ・ロックも、キャッツを世に送り出したアンドリュー・ロイド=ウェバー氏の作品である事から、ウィンター・ガーデン劇場とアンドリュー・ロイド=ウェバー氏の深い繋がりを感じます。
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