アル・ハーシュフェルド劇場の座席表・基本情報
アル・ハーシュフェルド劇場(アル・ヒルシュフェルト劇場 Al Hirschfeld Theatre)の住所、座席表などの基本情報です。
住所 : | 302 W 45th St, New York, NY 10036(地図) 45ストリート沿い、8番街と9番街の間 |
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創設 : | 1924年11月11日 |
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収容人数 : | 1,437人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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アル・ハーシュフェルド劇場の行き方
アル・ハーシュフェルド劇場の行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。
青のA、C、Eの路線に乗ると、広い駅構内の中でも、劇場により近い場所で下車できます。
アル・ハーシュフェルド劇場の地図
以下は、アル・ハーシュフェルド劇場(Al Hirschfeld Theatre)の地図です。
アル・ハーシュフェルド劇場の歴史① マーティン・ベック劇場
旧名称はマーティン・ベック劇場
アル・ハーシュフェルド劇場(アル・ヒルシュフェルト劇場 Al Hirschfeld Theatre)は、サンフランシスコ出身の建築家アルバート・ランズバーグ(G. Albert Lansburgh)が、
ボードビル(アメリカのバラエティショー)の主催者であったマーティン・ベック(Martin Beck)のために設計しました。当時としては珍しく、ニューヨークで唯一、借金無しで建てられた劇場として有名で、1924年の創設当時から2003年までの約80年近くは
マーティン・ベック劇場(Martin Beck Theatre)という名前で親しまれていました。
現在のアル・ハーシュフェルド劇場の写真 チケット売場に残っている旧劇場名の看板の写真マーティン・ベックのこだわり
有名劇作家の舞台を次々と公演
1940年からはマーティン・ベックの個人所有ではなく、彼が設立した劇場運営会社であるThe Martin Beck Estateが所有する劇場となりましたが、もとよりベック氏には有名劇作家の作品をこの劇場で公演するという個人的な夢がありました。そこで、1946年にユージン・オニール劇場の劇場名となっている劇作家ユージン・オニールの戯曲「氷人来たる(The Iceman Cometh)」、1959年にテネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)の戯曲「青春の甘き小鳥(Sweet Bird of Youth)」、1966年にエドワード・オールビー(Edward Albee)の戯曲「デリケート・バランス(A Delicate Balance)」を公演するなどして実現させていきました。
アル・ハーシュフェルド劇場の歴史② Al Hirschfeld氏ついて
アル・ハーシュフェルド劇場に改名
1965年、マーティン・ベック劇場は大手劇場運営会社であるユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)に買収され、現在も同社が所有する劇場の1つです。2003年6月21日に、画家のアル・ハーシュフェルドにこれまでの功績と敬意を表し、「アル・ハーシュフェルド劇場(Albert Hirschfeld Theatre)」へ劇場名と変わりました。内装は創設当時の姿を残しており、現在でも90年以上前の劇場の姿を見ることが出来ます。
劇場名の由来、アル・ハーシュフェルド氏について
1903年6月21日 ミズーリ州セントルイス生まれの風刺画家。
本名はアルベルト・ハーシュフェルド(Albert Hirschfeld)。
約80年もの間、業界の著名人、歌手、ダンサーやブロードウェイのスター達の肖像画を単なる似顔絵ではなく内に秘められたものを独特の表現方法で戯画化したことで有名で、ニューヨークでは知らない人がいないと言われるほど有名なアーティストです。
ハーシュフェルドは絵を描くことを学ぶため、1924年からパリやロンドンへ渡りました。古くからの友人でありブロードウェイ宣伝担当としても知名度があったリチャード・メーニー(Richard Maney)が、アメリカへ帰国したハーシュフェルドの作品の一つを、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン(New York Herald Tribune)の編集者に見せたことをきっかけに、新聞社と共同で働き始め、ニューヨークタイムズ(新聞)の特集ページでハーシュフェルドの描くミュージカル作品の絵が毎回掲載されるようになりました。
1951年にはブロードウェイ演劇界の内幕本「笑うブロードウェイ(Show Business is No Business)」を著し、12章にも及ぶミュージカル界の内部事情を、皮肉とユーモアで描き綴り、後に日本でも翻訳本が出版されました。
2002年の秋、ユージャムシン劇団はアル・ハーシュフェルドが100歳の誕生日を迎えることを記念して劇場名をアル・ハーシュフェルド劇場と改名すると公に発表し、2003年6月21日に正式改名しましたが、悲しいことにハーシュフェルド本人は100歳の誕生日を迎えることはなく、99歳で生涯を閉じていました。
アル・ハーシュフェルド作品ギャラリーを見逃さないで
他のブロードウェイ劇場とは全く異なる、メトロポリタン美術館のような古き良きアトリエ回廊のようになっているこの劇場では、アル・ハーシュフェルドの作品が多数飾られています。是非、ミュージカルを観る30分前には到着して、じっくり見ていただきたいと思います。
アル・ハーシュフェルド劇場の建築はビザンティン様式を採用
アメリカ唯一のビザンティン様式の劇場
個性的な外観を持つアル・ハーシュフェルド劇場は、アメリカ唯一のビザンティン様式の劇場として知られています。ビザンティン様式とは、東ローマ帝国の勢力下で興った建築様式で、四世紀から六世紀頃に発達した、円形の天井を持つドーム建築と、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵や模様を表すモザイク絵画、アーチ状の支柱が特徴的で、ベネチアにあるサン・マルコ大聖堂が代表的です。
アル・ハーシュフェルド劇場の個性的なアーチが連なる外観は、シンプルなレンガ調で造られた劇場と比較すると一目瞭然の違いですが、劇場の正面入り口前には、アーチ状の支柱が使用されており、それぞれの柱の間に広い空間が生まれたことで、全体が広い遊歩道となりました。
劇場内のロビーも他の劇場より広々としているのが特徴的です。客席の真上にある黄金色の美しいドーム、錬鉄、ステンドグラス、モザイク絵画を使用した内装も特徴的で、建築当時は1,200席ありましたが、現在では1,437席へと、時代の流れと需要の規模にあわせて拡大されています。
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