Lyceum Theatre ライシーアム劇場の詳細
ブロードウェイ最古の劇場の一つ。白く豪勢な神殿のような外観が美しい。ぜひ昼間に訪れてみて。
ライシーアム劇場の基本情報
ライシーアム劇場(Lyceum Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 149 W 45th St, New York, NY 10036(地図) 45ストリート沿い、6番街と7番街の間 |
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創設 : | 1903年11月2日 |
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収容人数 : | 943人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ライシーアム劇場の行き方・アクセス
ライシーアム劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。
ライシーアム劇場の地図
以下は、ライセアム劇場(Lyceum Theatre)の地図です。
ライシーアム劇場の歴史
マンハッタン最古の劇場の1つ
ライシーアム劇場(ライセウム劇場 Lyceum Theatre)は、1903年に創設されました。現存するブロードウェイ劇場の中でも、ニューアムステルダム劇場とハドソン劇場と並ぶ最古の劇場の1つです。
ニューアムステルダム劇場やハドソン劇場は、世界恐慌の影響を受けて客足が遠のいた際、映画館やテレビスタジオなどに姿を変えて切り盛りしましたが、ライシーアム劇場は、(ほんの少しだけの期間、映画館として運営したものの)ほぼ業態を変えず「劇場」として運営を続けました。
結果、ニューヨークの中で
最も長期間「劇場」として運営を続けている場所として認識され、1974年、ニューヨーク市歴史建造物保存委員会により、ブロードウェイ劇場史上初のランドマーク指定を受けました。
また、ブロードウェイの劇場は100年ほどの歴史の中で劇場の名前が改名されることが多くありますが、ライシーアム劇場はオープン当初から同じ名前を使用し続けてきた数少ない劇場でもあります。元々4番街(4th Ave)で現在のパーク通りにあったライシーアム劇場を1902年4月に閉鎖し、それに打って変わって新しいライシーアム劇場が1903年11月2日に誕生しました。
今もフローマンの私用アパートが残っている劇場
現在でもライシーアム劇場の上には、劇場プロデューサーのダニエル・フローマンが生前使用していた私用アパートが残っています。このアパートの一室から下の階で公演されている劇を見る事ができたため、当時フローマンはしばしば自宅から観劇していたと言われています。
1940年にはジョージ・カフマンとモス・ハートの劇場プロデューサーによるコングロマリットによって購入されましたが、1950年にシューベルト兄弟(後にシューベルト・オーガニゼーションを設立)がライシーアム劇場を購入し、それ以来シューベルト・オーガニゼーションがこの劇場を所有、現在では同社のうちのシューベルト・アーカイブの本社として、昔のフローマンのアパートが使用されています。
ライシーアム劇場の建築様式
神殿のような雰囲気を漂わす外観
当時の一番有名な建築事務所「ハーツ&タラント」の協力のもと、劇場プロデューサーのダニエル・フローマンによって建てれたライシーアム劇場は、
当時の流行建築様式であったボザール様式を用いて建設されました。
このボザール様式とは、フランス国立美術学校エコール・デ・ボザールで建築を学んだアメリカ人が、自国で作品を披露した際に用いたヨーロッパ古典建築様式で、この様式でダントツに知名度の高いのはニューヨークのグランドセントラル駅やペンシルバニア駅、ニューヨーク公立図書館が挙げられ、ブロードウェイの劇場ではニューアムステルダム劇場やルント・ファンテン劇場が特に有名です。アメリカで19世紀末から20世紀初頭(1880-1930頃)にかけて流行した様式で、一見すると神殿のような雰囲気を持っています。
古城を彷彿させる劇場の内装
今でも劇場内には、建築当時のボサール式の精巧な造りの大理石や階段を残しています。劇場は3階席までありますが、座席数で考えると943座席となり、ブロードウェイの劇場の中では小さい劇場として扱われています。
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