Minskoff Theatre ミンスコフ劇場の詳細

タイムズスクエアのど真ん中にある近代的な劇場。列数が少なめで横に広い構造なので、2階席でも比較的見やすい。

ブロードウェイミュージカルのミンスコフ劇場

ミンスコフ劇場の基本情報

ミンスコフ劇場(Minskoff Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :200 W 45th St, New York, NY 10036(地図
44ストリートと45ストリートの間、7番街と8番街の間
※劇場入口へは44ストリート、45ストリートどちらからでも入れます
創設 :1973年
収容人数 :1,710人
座席表 :※クリックして拡大できます
ミンスコフ劇場の座席表

ミンスコフ劇場の行き方・アクセス

ミンスコフ劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

N R W 路線の「49st」駅から徒歩5分ほど

1 2 3 7 A C E N Q R W 路線「42st – Times Square / Port Authority」駅から徒歩8分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

ミンスコフ劇場の地図

以下は、ミンスコフ劇場(Minskoff Theatre)の地図です。

ミンスコフ劇場の歴史

劇場創設から50年も経たないミンスコフ劇場

ミンスコフ劇場(Minskoff Theatre)は、1973年、高層商業ビルであるワン・アスター・プラザ(One Astor Plaza)の3階にオープンしました。ミンスコフ劇場の名前の由来は、このビルの不動産開発者であるミンスコフ家から来ています。ミンスコフ劇場はタイムズスクエアの象徴でもあったアスターホテルの跡地に建設され、当初はオフィスビルのみを建てる予定でしたが、当時ニューヨーク市長であったジョン・リンゼイ(John Lindsay)から「ニューヨークの象徴とも言えるシアター・ディストリクト(Theater District)のど真ん中にオフィスビルを建設するのであれば、ミュージカル劇場の併設はマストである」と強く推奨されたことから、この劇場の計画が始まりました。
比較的新しく誕生したこの劇場はミュージカルだけではなく、ダンスやコンサート会場としても使用され、1981年7月には日本から織作峰子(ミス・ユニバース日本代表)が出場したミス・ユニバース世界大会が開催され、第45回、第49回のトニー賞授賞式も当劇場で行われました。

また、2006年のミュージカル「ライオンキング」の公演を迎えるにあたって劇場全体を改装し、一階ロビーにあるエスカレーターを上り後ろを振り返るとライオンキングに出てくるムファサの巨大な像があり、2階のロビーはタイムズスクエアを一望できるガラス張りの造り(写真)となっています。

ミンスコフ劇場の中の様子

ワン・アスター・プラザについて

ワン・アスター・プラザは、ミッドタウンのタイムズスクエアにある54階建て、高さは745フィート(227メートル)の高層オフィスビルです。当ビルが建ち上がる前は有名ホテルHotel Astor(ホテル アスター)があり、1904年から1967年まで運営していました。11階建てのホテルには1000室もの客室があり、地下には広いワインセラーや屋上にはルーフトップバーと、当時人々の間で流行の場所として知られていました。

ホテルを所有していたアスター家は1950年代にシェラトンに売却し、その後新たなオフィスビルを建設することになり、現在のワン・アスター・プラザが誕生しました。五番街にあるトランプタワーを設計したデア・スコット(Der Scutt)によって、1968年から4年の歳月を経て、1972年に完成しました。

現在は米国の多種多様なマスメディアを傘下に持つバイアコム社(Viacom Inc.)の本社があり、3階のミンスコフ劇場、2階のMTVスタジオ、地下にはプレイステーション劇場(PlayStation Theater)、またその他小売店などを収容しております。

ミンスコフ劇場の設計者について

数々の高層ビルを手がけたエリー・ジャック・カーン

エリー・ジャック・カーン(Ely Jacques Kahn)は、数々の高層ビルをニューヨーク内に建設した事で有名な商業建築家です。ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちのカーンの設計には、当時高層ビルの規定とされた1916年区画整備決議(1916 Zoning Resolution)の条件をクリアし、セットバックを上手く利用したデザインが多く含まれています。

エリーはコロンビア大学、コロンビア建築学院を卒業した後、パリの国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールで更にデザインについて学び、ニューヨークに戻ってきました。アール・デコ調の高層オフィスやロフトの建物で最もよく知られているエリーですが、本質的にニューヨーク市の商業的性質を認識していたからこそ、見た目のみならず実用性と創造性を持ち合わせた彼の建築はニューヨークの景観を決定的に変えたと言われています。また、メトロポリタン美術館(1929)などでの数々な影響力のある展覧会の企画も行い、ニューヨークの発展にも大きく携わりました。

セットバックとは

19世紀終わり頃からニューヨークではビルの高層化が進み、周囲の日照条件やその他の問題を無視し、敷地一杯に建てられるようなビルが増えたことから、中心部であった五番街が高層ビルに囲まれて真っ暗になるのではないかと懸念されました。そこで、1916年に区画整備決議が行われ、エリアごとに建てられる建物の高さと大きさが決められました。その影響で、当時建てられた高層ビルは高層階ほど幅が狭くなっています。

セットバックとは、建物の壁面を上層を下層よりも後退させて階段状にする事によって、地上に供給される日光や新鮮な空気を増やすことを可能にするデザインです。元々は日当たりなどの都合で適応されたデザインでしたが、現在では土地利用規制に適合させるためにや、美的観点からも利用される建築方法の一種となっています。

エリーの代表作として有名な建物はバベルの塔(旧約聖書創世記に記されている伝説の塔のこと)のような階段状に形状している1400 Broadwayの建物になり、彼のデザインの特徴はビジュー様式(ヨーロッパ古典様式)にキュビスム、モダニストとアール・デコ調を掛け合わせたようなものになっています。

カーン&ジェイコブス社として数々の商業ビルを手掛ける

1940年には、建築家ハリー・アラン・ジェイコブス(Harry Allan Jacobs)を父に持つ息子のロバート・アラン・ジェイコブス(Robert Allan Jacobs)と共同経営を始め、「カーン&ジェイコブス(Kahn and Jacobs)」の名で活動しました。2人の代表作といえば、Universal Pictures Buildingや100 Park Avenueなど様々。1956年にはニューヨーク証券取引所の上層部のデザインをも手がけています。

エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

1400 ブロードウェイ

住所:1400 Broadway
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

アスファルトプラント

住所:555 E 90th St
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物"

120ウォールストリート

住所:120 Wall Street
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

フィルム・センタービル

住所:630 9th Avenue
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

1095アベニュー・オブ・ザ・アメリカ

住所:1095 Avenue of the Americas
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

810セブン・アベニュー

住所:810 Seventh Avenue
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物"

399パーク・アベニュー

住所:399 Park Avenue
エリー・ジャック・カーンが手がけたニューヨークの建築物

AT&Tシティセンター

住所:600 19th St N Birmingham, AL

不動産開発者のミンスコフ家について

ミンスコフ家は、ユダヤ人家系の家族経営の不動産事業主。創始者のサム・ミンスコフ(Sam Minskoff)は1908年にロシアから移民してきて、ニューヨークで不動産を始めました。5人の息子は大学卒業後に父の仕事を手伝うようになり、後にリッツ・カールトンとなったナヴァロ・ホテルやオフィスビルやアパート、郊外にショッピングモールなどを創設していきました。

しかし1990年代には所有しているビルの管理が上手く行かず、物件をいくつも手放すこともありました。サムの死後は息子ヘンリー・ミンスコフ(Henry H. Minskoff)が引き継ぎました。後にヘンリーは米国不動産鑑定士協会のメンバーとなり、当時のニューヨークで大手の不動産会社であるGemco National Inc.の取締役兼副会長を務め、スターリングナショナル銀行(Sterling National Bank)やSterling Bancorpなどの取締役を務めました。

ミンスコフ劇場の代表作「ライオンキング」

大ヒットディズニー作品「ライオン・キング」の上演劇場として

ミュージカル「ライオンキング」は1997年よりニューアムステルダム劇場にて公演が行われていましたが、2006年、ディズニー・シアトリカル・プロダクションズはブロードウェイの新たな作品として「メリー・ポピンズ(MARY POPPINS)」をニューアムステルダム劇場で公演することになり、ライオンキングはミンスコフ劇場に移動してきました。

この移動に伴い、劇場は約4億円の費用をかけて半年間の大掛かりな改装を実行。総勢200人以上の職人や技芸家が携わり、外観の改善と最新設備を備え、舞台の拡張も行いました。
2012年4月には興行収入が8億5,380万ドル(約953億円)を越え、それまでトップの座を走っていた「オペラ座の怪人」の記録を破りました。また、ミュージカル「ライオンキング」は世界各国で上演され、映画や演劇を含む全てのエンターテインメント作品の中で頂点に達しました。ディズニー作品としては、最も長くブロードウェイで上演をされている作品です。老若男女問わずミュージカル初心者にもおすすめの作品として絶対的な支持を得ています。

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