ニュー・アムステルダム劇場の基本情報
ニュー・アムステルダム・シアター(New Amsterdam Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 214 W 42nd St, New York, NY 10036(地図) 42ストリート沿い、7番街と8番街の間 |
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創設 : | 1903年10月23日 |
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収容人数 : | 1,801人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ニュー・アムステルダム劇場の行き方・アクセス
ニュー・アムステルダム劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。
ニュー・アムステルダム劇場の地図
以下は、ニュー・アムステルダム劇場(New Amsterdam Theatre)の地図です。
ニュー・アムステルダム劇場の歴史① 創設と一時閉業
マンハッタン最古の劇場の1つ
ニュー・アムステルダム劇場(New Amsterdam Theatre)は、1903年、当時名を馳せていた劇場プロデューサーのエイブラハム・リンカーン・アーランガー(A.L. Erlanger)とマーカス・クロー(Marcus Klaw)によって創設されました。
20世紀を代表する建築家であるヘンリー・ハーツ(Henry Beaumont Herts)とヒュー・タラント(Hugh Tallant)によって設計され、1901年に竣工し、1903年に完成しました。事実、ハドソン劇場、ライシーアム劇場と並んでマンハッタンで一番古い劇場の1つとして、今日のニューヨーク・マンハッタンのランドマークとなっています。
パリ留学でボザール様式を徹底的に勉強したハーツ氏の建築物らしく、劇場の外観(特に窓周りやアーチの取り合いなど)は見事なヨーロッパ建築の古典様式が取り入れられています。1913~1927年の14年の間は、舞台演出家のフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニア(Florenz Ziegfeld, Jr.)氏の所有物でしたが、映画産業が急速に成長し始めた中、世界大恐慌の煽りを受けて1936年に最初の閉鎖となります。
同氏が所有していた時は、夜な夜な、密かに劇場二階で男性向けのナイトクラブを運営していたのは有名な裏話ですが、建物の二階は現在、ディズニー社の営業オフィスになっており、当時のナイトクラブのステージ跡をそのまま残してデスクを並べているという、とてもユニークなオフィス仕様となっています。
ヒット作に恵まれず、映画館に変身、閉業。歴史登録財として
この劇場の初演目はシェイクスピアの「A Midsummer Night’s Dream」という演劇でしたが、公演がわずか3週間で閉幕するという自体に陥りました。その後もヒット作に恵まれず、当初は、劇場の内装に施されている13匹の孔雀の羽が悪魔の目に見えて縁起が悪い、呪いだ、という噂が広まったほどです。
1937年、ニューアムステルダム劇場は映画館として再開業を試みますが、投影される映像によって明るく照らされるベルベット色の内装が目立ち、白黒映画に不適切であると指摘されてしまいます。そこで劇場全体に黒塗りを施し、さらにはボックス席が視界を邪魔するということで、チェーンソーで切り落とすよう指示されるなど、大変な劇場の設計変更を強いられました。
外観がボザール様式、内装はアール・ヌーヴォーが施されたこの劇場は、1979年のさらなる改装後、1980年に正式に
アメリカ合衆国国家歴史登録財として登録されましたが、1985年に完全な閉業となってしまいます。その後は劇場運営会社のネダーランダー・オーガニゼーションに売却されましたが、丸10年、完全放置と状態となりました。
アール・ヌーヴォーとは
アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動を意味します。「新しい芸術」を意味し、花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴です。
北米にはニューアムステルダム劇場以外にその様式の建築物はない事が知られており、この劇場の特徴として、座席や絵柄の形に丸みがあるという点があります。
ニュー・アムステルダム劇場の歴史② ディズニーの参入とその効果
ディズニーの力でマンハッタンの治安が改善された
さらに10年以上の月日が流れたある日、当時のニューヨーク知事(
ルドルフ・ジュリアーニ氏)は、荒れ果てたタイムズ・スクエア周辺の治安改善を叶えるため、テキサスから舞台演劇をブロードウェイに移す計画を持っていたディズニーに直談判し、話を持ちかけました。
早速、当時ディズニーのCEOであったマイケル・アイスナー(Michael Eisner)がマンハッタンに視察に訪れ、劇場内を4時間かけて見学しましたが、10年以上完全に放置されていたニューアムステルダム劇場の客席には、たまった湿気のせいで大きなきのこがそこらじゅうに育成され、ステージ上には大きな樹が生えており、ボックス席上部には雨漏りの後で凍った滝ができているほどでした。以下の画像は、1980年代の荒廃していたニューアムステルダム劇場の写真です。
ジュリアーニ市長とディズニーの計画
ジュリアーニ市長は「五番街の時代は終わって、これからは42丁目を中心にミッドタウンが栄える時代が来る」と宣言し、ディズニーのエンターテイメントを中心としたシアター・ディストリクト(Theater District)の再構築と治安改正に行動を移しました。
結果、ブロードウェイ復興に同意したディズニーはニューヨーク市とニューヨーク州から3%の利子で資金借用に成功すると、1995年5月に契約書に署名し、
18ヶ月の歳月と80億円と莫大な資金を投じてニューアムステルダム劇場の改装工事に乗り出します。そして1997年4月2日に再オープン、ディズニー演目「ライオン・キング」で完全復活を遂げました。これらは現在でもジュリアーニ市長の取り組んだニューヨーク治安向上への功績として知られています。
ニュー・アムステルダム劇場の特徴
ディズニーの営業所が劇場の上にある
長い閉鎖期間の前まで、ニュー・アムステルダム劇場の天井の上には「会員制の秘密の劇場」がありました。夜な夜なお金持ち達が集まり、ここで開かれる怪しい密会に参加していたと言われます。今日では、その秘密の劇場がディズニーのオフィスとして利用されており、デスクが並ぶフロアのど真ん中に、当時の密会に使用されていたステージがそのまま残っています。
42ストリート沿いに入り口が2箇所ある
通常、ブロードウェイの劇場は、入口が1つで公演前は大変混雑するのですが、この劇場はチケットを購入したり、チケットバウチャーを交換したりする「チケット窓口」と、劇場に入る「劇場入口」が分かれており、チケット購入者と、既にチケットを所持している人が並ぶ列が混ざって混雑する事がありません。あっとブロードウェイの割引チケットをご購入頂いた方は、まず「チケット窓口」へお並び下さい。ここでバウチャーチケットをチケット本券に交換し、劇場入口から入場します。
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