ブルックス・アトキンソン劇場の基本情報
ブルックス・アトキンソン劇場(Brooks Atkinson Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 256 W 47th St, New York, NY 10036(地図) 47ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間 |
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創設 : | 1926年 |
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収容人数 : | 1,109人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ブルックス・アトキンソン劇場の行き方・アクセス
ブルックス・アトキンソン劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「49st」駅から徒歩5分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩7分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩7分ほど
ブルックス・アトキンソン劇場の地図
以下は、ブルックス・アトキンソン劇場(Brooks Atkinson Theatre)の地図です。
ブルックス・アトキンソン劇場の歴史
「マンスフィールド劇場」として開業
ブルックス・アトキンソン劇場(Brooks Atkinson Theatre)は、1926年の創設当初「マンスフィールド劇場(Mansfield Theatre)」という名前でオープンしました。劇場名はシェークスピアやジキルとハイドの劇作品でも活躍した古典役者であり、劇場運営者のリチャード・マンスフィールド(Richard Mansfield)に由来します。不動産界の大物であったチャニン兄弟によって建てられたこの劇場は、ブロードウェイ劇場の建築デザインを最も多く手掛けた劇場建築士ハーバート・クラップによりデザインされました。
ちなみに、チャニン兄弟とは、ニューヨーク出身のユダヤ人建築家であり、不動産開発者でもあり、数多くのブロードウェイの劇場建設を手掛けたことで知られています。彼らの事業は幅広く、劇場・ホテル経営や高層ビルの開発などを数々手掛け、現在でも残る建物はニューヨーク市歴史建造物保存委員会にニューヨークのランドマークとして認定されたこともあります。ブロードウェイの歴史を語るには欠かせない存在です。
人気クイズ番組の収録スタジオとして
1929年頃から始まった世界大恐慌は、当然の如くブロードウェイ全体へも襲来し、ほとんどの劇場がバーレスク劇場や映画館に姿を変えていきました。然し、マンスフィールド劇場はその時代の流れに抗い、1933年から1945年頃まで約50演目近くの演劇公演を継続するも、大きなヒット作を生み出す事はできませんでした。
1945年に舞台・映像のプロデューサーであるマイケル・メイヤーバーグ(Michael Myerberg)がこの劇場を購入しましたが、1950年からの10年間は劇場として使用せず、テレビ局のCBSとリース契約を結び、
テレビ番組の収録、報道スタジオとして劇場を貸し出しました。意外にもテレビ番組の人気が好調で、「ホワッツ・マイライン(What’s My Line)」と「私の秘密(I’ve Got a Secret)」のクイズ番組でロングランヒットとなりました。
再びミュージカル劇場として復活したブルックス・アトキンソン劇場
1950年以来、当劇場をテレビ局の収録及び放送スタジオとして使用してきましたが、再びミュージカル劇場としての利用を再始動する為、1960年に劇場名を「ブルックス・アトキンソン劇場(Brooks Atkinson Theatre)」と改名し、
創設当初と同じミュージカル劇場として運営することとなりました。
1967年には大手劇場運営会社のネダーランダー・オーガニゼーション(Nederlander Organization)が、当劇場の所有権を部分的に購入しましたが、1974年にマイケル・メイヤーバーグが死去したことで、同社がすべての所有権を買い取り、今日まで同社の所有する劇場の一つとなっています。
2000年、劇場の内装はエバーグリーン・アーキテクチュアル・アーツ(EverGreene Architectural Arts)という専門の業者により修復され、40年以上も前に一度取り払われた、かつて使用されていたオリジナルのシャンデリアを再び飾り付けて、劇場内を照らしています。
ブルックス・アトキンソン氏について
劇場名の由来となった有名劇評家
Brooks Atkinson Theatreの劇場名は、トニー賞特別賞、オビー賞特別賞、ピューリッツァー賞通信部門を受賞した、ニューヨークタイムズ社の劇場批評家ブルックス・アトキンソン(Justin Brooks Atkinson)から由来しています。ちなみに、劇場批評家の名前を、ブロードウェイ劇場に名付けるのは史上初めてのことでした。
辛口で知られるニューヨークタイムズ社でさえ、アトキンソンを「アメリカ全土で最も影響力のあるコメンテーターだ」と讃えるほどで、ブロードウェイ関係者やファンの中でアトキンソンの発言は常に注目されており、時には彼の発言がブロードウェイ作品の成功を左右した、とまで言われるほど影響力がある人物でした。
第二次世界大戦中、4年間はモスクワで従軍記者の特派員としてニューヨークタイムズのために記事を書き続けた功績を称えられ、1947年にピューリッツァー賞を受賞しました。このピューリッツァー賞を含め、劇評家としてトニー賞、オビー賞受賞の功績や、アトキンソンの持つ影響力を知っていたマイケル・メイヤーバーグは、1984年1月14日、89歳で生涯を終えた彼に敬意を表し、ブルックス・アトキンソン劇場としました。
ちなみに、アトキンソンは記事だけでなく本を著しており、代表作では「ブロードウェイ・スクラップブック(Broadway Scrapbook)」(1948)や、同じく劇場名になったアル・ハーシュフェルド氏と共同で著した「陽気な日々:1920-1973(The Lively Years:1920-1973)」 (1973)などがあります。
ブルックス・アトキンソン(Justin Brooks Atkinson)について
1894年11月28日、ブルックス・アトキンソンはマサチューセッツ州メルローズで生まれました。少年の頃から印刷機を用いて自分の新聞を作っては、将来ジャーナリストになることを夢見ていました。
ハーバード大学へ進学すると、日刊新聞社ボストン・ヘラルド(Boston Herald)へ掲載する記事を書き始め、1917年に同大学を卒業後、Springfield Daily Newsや、Boston Evening Transcriptなどの新聞社で劇場演劇の評論家の助手として働き、1922年からは、ニューヨークタイムズの書評部で編集者となり、1925年から劇評家として活動を開始します。
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