St. James Theatre セント・ジェームズ劇場の詳細

ブロードウェイの劇場街の中心地に存在する劇場。トニー賞の聖地、サーディーズとも深い繋がりがあります。

ブロードウェイミュージカルのセント・ジェームズ劇場

セント・ジェームズ劇場の基本情報

セント・ジェームズ劇場(St. James Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :246 W 44th St, New York, NY 10036(地図
44ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間
創設 :1927年
収容人数 :1,710人
座席表 :※クリックして拡大できます
セント・ジェームズ劇場の座席表

セント・ジェームズ劇場の行き方・アクセス

セント・ジェームズ劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

1 2 3 7 A C E N Q R W 路線「42st – Times Square / Port Authority」駅から徒歩5分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

セント・ジェームズ劇場の地図

以下は、セント・ジェームズ劇場(St. James Theatre)の地図です。

セント・ジェームズ劇場の歴史

旧劇場 アーランガー劇場をアスター家が買収

セント・ジェームズ劇場(St. James Theatre)は、1927年にシンジケート劇団(Theatrical Syndicate)の創設者の一人で、劇場プロデューサーでもあるエイブラハム・リンカーン・アーランガー(Abraham Lincoln Erlanger)によって、「ザ・アーランガー劇場(The Erlanger)」として創設されました。

劇場のデザインはグランドセントラル駅やリッツカールトンなど、数々の高級ホテルをデザインしたことで有名な建築事務所のウォーレン&ウェットモア(Warren&Wetmore)が手がけています。

運営開始後の僅か3年後にはアーランガーが死去してしまい、劇場の土地の所有者であったアメリカの財閥アスター家がアーランガー劇場を運営することとなり、ロンドンにあるセント・ジェームズ劇場に敬意を表して「セント・ジェームス劇場」と名付けられました。
1941年には、ブロードウェイ最大の劇場運営会社シューベルト家がセント・ジェームス劇場を買収しましたが、1957年に起きた反トラスト法に関する訴訟に敗れ、劇場を手放すことを余儀なくされました。

そして劇場は、ビジネスマンのウィリアム・マクナイト(William L. McKnight)の手へと渡り劇場を改装、翌年の1958年に再び運営を開始します。マクナイト氏は世界的化学・電気素材メーカーである3M(ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュリング社)の発展に大きく貢献し、29歳で副社長に就き、最終的に理事長まで登りつめた優秀な人材でした。

NYで3番目に大きい劇場運営団体が誕生するきっかけとなった

1970年にマクナイト氏は所有していた2つの劇場を売りたがっていたため、元々劇場が大好きだった娘のバージニアとその夫のジェームス・H・ビンガー(James H. Binger)へ劇場のオーナーの座を譲りました。

ジェームス・H・ビンガーは劇場ビジネスの魅力にはまり、後にセント・ジェームズ劇場含めた5つの劇場を所有するブロードウェイ最大の劇場運営会社の一つ「ユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)」を設立しました。

劇場正面には鉄のロッジアが施されている

セント・ジェームズ劇場の正面には、煉瓦を使用した華やかな鉄の「ロッジア」と呼ばれる建築デザインが施されています。ロッジアとはイタリアで生まれた建築デザインの一種で、建物の正面に外に開かれた廊下を配し、一定間隔の柱で支持するか、単に壁に開口部を設けた形状のものを指します。

当時流行していた豪華爛漫なボザール様式を用いることで知られていた建築事務所ウォーレン&ウェットモアのこれまでの建築デザインに比べると、比較的シンプルなものとなっています。

セント・ジェームズ劇場の創設者について

劇場プロデューサーのエイブラハム・アーランガー

セントジェームス劇場の創設者アーランガーは、ニューヨークのバッファローにてユダヤ人家系にて育ち、弁護士兼劇場プロデューサーであるマーク・クロー(Marc Klaw)をビジネスパートナーとし、当時主流であったボードビル(Vaudeville)の制作配給会社を1886年に創設しました。

クロー&アーランガー(Klaw & Erlanger)と名付けられたこの会社は、いくつもの演劇作品の制作や劇場の建ち上げを行い、ボードビルの流通経路を完全に独占することになります。その証拠に、アーランガー自身の名前が入った劇場をニューヨーク以外でフィラデルフィアやバッファローにも所有していました。

1896年に彼らは同じく劇場運営に携わっていたアル・ヘイマン(Al Hayman)、チャールズ・フローマン(Charles Frohman)、サミュエル・ニクソン(Samuel F. Nixon)とフレッド・ジマーマン(Fred Zimmerman)と共に「Theatrical Syndicate」を結成します。ヘイマンとフローマンはニューヨークと周辺地位域の劇場を所有しており、ニクソンとジマーマンはオハイオ地域の劇場を管理していました。

その中でクロー&アーランガーは、米国全土に体系化された予約ネットワークを確立し、シューベルト兄弟が業界を掌握した1910年代末まで、契約や予約のあらゆる面を管理し、独占していました。

セント・ジェームズ劇場とレストラン「サーディーズ」

トニー賞が誕生したレストラン「Sardi’s(サーディーズ)」

セント・ジェームス劇場が建てられた土地には、元々ヴィンセント・サーディ(Melchiorre Pio Vincenzo “Vincent” Sardi Sr.)とその妻のジェニーが開業したレストランがありました。

1926年、セント・ジェームス劇場建設のためレストランの取り壊しが決定し、劇場業界の大物であったシューベルト兄弟から、2軒先の場所に建設中のビル内へ移転するよう申出を受け、1927年3月5日に、劇場建築家ハーバート・クラップが設計した建物に、レストラン「サーディーズ(Sardi’s)」を開店することになりました。

移転後、世界恐慌による景気の悪化が重なり、お店の売上が伸び悩んでいたため、サーディは顧客を引き付ける仕組みを考案します。1920年代にキャバレー業界の大御所であったジョー・ゼッリが経営するパリのレストランやジャズ・クラブの壁に映画スターのカリカチュア(人物の性格や特徴を際立たせて描いた肖像画)が飾られていたのを思い出し、サーディはそれを自分の店で再現することにしました。

ロシア難民であった漫画家のアレックス・ガードを画家として雇い、一枚の絵を描いたら一回の食事と引き換えるという条件で契約を結ぶと、オーナーが2代目になった後も変わらずこの条件で絵を描き続け、アレックスが死去するまで食事と引き換えに描いたカリカチュアは700作品を超える結果となりました。

Sardi’s(サーディーズ)とトニー賞の関係

映画のアカデミー賞と同じように、ブロードウェイ演劇に毎年与えられる賞を「トニー賞」と言いますが、実はトニー賞が誕生したきっかけは、このサーディーズにあります。

ある日、劇場プロデューサー兼演出家のブロック・ペンバートンがこのレストランで昼食をとっていた時に「仕事のパートナーでもあった名女優アントワネット・ペリーがブロードウェイの発展に大きく貢献したことを人々に伝えたい」と思いついた事をきっかけに、当時のペリーの愛称である「トニー」にちなんでブロードウェイ演者を称える賞としてトニー賞が誕生しました。

トニー賞は、基本的には演劇とミュージカルの2つの部門に分かれており、キャストだけではなく舞台裏スタッフまで細かく、幅広く評価しており、今日のミュージカル界においては最も権威のある賞とされています。
1947年、第1回目のトニー賞で、ヴィンセント・サーディは「20年もの間、サーディーズで、劇場人たちに束の間の休息と安らぎの場を与えた」として特別賞を授与しました。さらに、息子のヴィンセント・サーディ・ジュニアは、2004年にトニー賞栄誉賞を受賞しました。サーディーズは、アウター・クリティクス・サークル賞の授賞式の会場になっているほか、現在でも多くのブロードウェイ関係の記者会見や祝賀会といった行事事に使用されています。

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