エセル・バリモア劇場の基本情報
エセル・バリモア劇場(Ethel Barrymore Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 243 W 47th St, New York, NY 10036(地図) 47ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間 |
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創設 : | 1928年12月20日 |
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収容人数 : | 1,096人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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エセル・バリモア劇場の行き方・アクセス
エセル・バリモア劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
地下鉄の最寄駅 :
路線の「49st」駅から徒歩3分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど
路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど
エセル・バリモア劇場の地図
以下は、エセル・バリモア劇場(Ethel Barrymore Theatre)の地図です。
エセル・バリモア劇場の歴史
シューベルト兄弟とクラップのコンビが建築した最後の劇場
エセル・バリモア劇場(Ethel Barrymore Theatre)は、1928年12月20日に創業しました。 ブロードウェイ最大の劇場運営会社「シューベルトオーガニゼーション(Shubert Organization)」の所有者シューベト兄弟(Shubert brothers)が、運営する劇団に所属していた役者のために建設しました。建築デザインはハーバート・クラップ(Herbert J. Krapp)によるもので、ポルチコ(Portico)と呼ばれる柱形式を使用した
古代ローマの公衆浴場(Public Baths in Rome)をもとにデザインされています。
20世紀始めに、シューベルト兄弟がブロードウェイ内に建築した数多くの劇場を、このハーバート・クラップがデザインしており、現在ブロードウェイ番街で運営をしている19劇場の内、アンバサダー劇場、ジョン ゴールデン劇場、ウィンター ガーデン劇場、インペリアル劇場、マジェスティック劇場、ブロードハースト劇場、ジェラルド ショーンフェルド劇場、バーナード・ジェイコブス劇場の8劇場をクラップがデザイン担当しています。
創設から現在まで一度も名前が変わらない劇場
シューベルト兄弟による劇場運営会社「シューベルト・オーガニゼーション 」は1900年に創設後、現在までに合計約100個以上の劇場を所有し、約500以上のミュージカル作品を制作してきたブロードウェイ最大の劇場運営会社ですが、1929年の世界大恐慌の影響もあり、彼らが建てた劇場の中でこのエセル・バリモア劇場が最後のオン・ブロードウェイ劇場となりました。現在シューベルト・オーガニゼーションが所有している17個のオン・ブロードウェイ劇場の中で1番新しい建築物となります。
他の歴史的な劇場は、世界大恐慌の影響などを受け、長年で映画館やテレビスタジオとして利用されていましたが、エセル・バルモア劇場は創設当初からミュージカル作品のみ上演を行い、
創設から現在に至るまで劇場名及び所有者が一度も変わっていない数少ない劇場として知られています。ちなみに、劇場の正式名称は「エセル・バリモア劇場」ですが、短縮して「バリモア劇場」の名で呼ばれています。
エセル・バリモア劇場の建築スタイル
古代ローマの公衆浴場をモチーフに
クラップによる劇場のデザインは、外見は
ラコッタ (terra cotta)と呼ばれる陶器や建築用素材などに使用される素焼きの焼き物と、鉄製の格子造りグリル(Grillwork)を組み合わせた
古代ローマの公衆浴場(Public Baths in Rome)をもとにデザインされています。
内装は赤と白を基調とし、劇場の天井にシャンデリアを施すなど、16世紀のエリザベス1世女王(Elizabethan era)時代や地中海をイメージした装飾となっており、また18世紀に流行したイギリスの伝統的なアダム様式(Adam style)を用いた室内装飾に加え、 壁にはポルチコ(portico)とよばれる柱列構造が使用されています。
劇場の壁に使用されている柱「ポルチコ(Portico)」とは
ポルチコ(portico)と呼ばれる柱列は、建物の玄関までの道筋に沿って柱が複数列に並び、歩道上に屋根がある構造ことを指します。古代ギリシアから西洋文化に渡ったポルチコは、各地域によって柱の数で種類別されており、4柱式、6柱式、8柱式、10柱式に分かれています。代表的な建物には、8柱式のローマの神殿パンテオン(Pantheon)が挙げられ、また8本以上の柱からなる一列等間隔の構造をコロネード(colonnade)と呼びます。
エセル・バリモア劇場の由来
劇場名の由来は女優エセル・バリモア
1927年頃、シューベルト兄弟は、名女優エセル・バリモア(Ethel Barrymore)に、この劇場の名前を「エセル・バリモア」にする代わりに、最初の公演作品「神の王国(The Kingdom of God)」に出演してほしいと交換条件を申し出ます。
エセル・バリモアは、この1927年当時、マキシン・エリオット劇場(Maxine Elliott’s Theatre)でサマセット・モームによる戯曲「The Constant Wife」を演じていましが、彼女は台本を大変気に入り、交換条件に同意したことで、1928年エセル・バリモア劇場が誕生しました。
エセル・バリモアは、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身で、同世代の女性から絶大な人気のあった名女優です。父はイングランド人の俳優モーリス・バリモア(Maurice Barrymore、本名 Herbert Arthur Chamberlayne Blythe)、母は米国の女優ジョージアナ・ドリュー(Georgiana Drew)という
劇場界のロイヤルファミリーとして生まれ、映画、舞台、そしてTVでも活躍し絶大な人気を誇りました。当時の若いアメリカ人女性たちは彼女に憧れ、髪型や歩き方、声まで真似されるほどの人気ぶりでした。
1894年から舞台女優として活動を始めたエセル・バリモアですが、1932年公開の「怪僧ラスプーチン(Rasputin and the Empress)」で同じく俳優業を行っていた兄ライオネル・バリモア(Lionel Barrymore)・弟ジョン・バリモア(John Barrymore)と初めて共演を果たし、3人の兄弟「バリモア一家(Barrymore family)」として人気を獲得しました。
兄ジョン・バリモアの死後も、ライオネルとエセルは「ブロードウェイへの道(Main Street to Broadway)」で共演するなど活動の場を映画に移し、最初にオスカーを獲得した兄妹として名を残しました。
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