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こちらのページは、ブロードウェイについてより専門的に知りたい方向けの解説ページです。より簡潔に、端的にブロードウェイについて知りたいという初心者の方は、以下のページを先に覗いてみて下さい!
ブロードウェイとは?座席の種類・チケットの買い方・観劇のマナーを簡単に解説しています。
ブロードウェイとは
41丁目から54丁目の間に建つ劇場で上演されている作品
ブロードウェイとは、 マンハッタン島の南北を斜めに走っている大通りのことです。アメリカ独立戦争前から存在する旧道です。特に、ブロードウェイの41丁目から54丁目の間には劇場が多く集まっており、その中でも
座席数が500席以上の劇場で公演される演目を「ブロードウェイ・ミュージカル」と呼びます。このような劇場は、ブロードウェイ界隈に約40あり、毎夜多くの演目が上演されています。また、500席以下の劇場で催されるものは「オフ・ブロードウェイ・ミュージカル」と呼ばれ、区別されています。
例外として、リンカーンセンターのなかにあるビビアン・ビューモント劇場(Vivian Beaumont Theater)は41丁目から54丁目の間の範囲を外れていますが、この劇場での作品もブロードウェイ作品として扱われています。年に1回行われる演劇界の最高の栄誉であるトニー賞は、このビビアン・ビューモント劇場を含めた40の劇場で上演された作品を対象としています。
ミュージカルの起源
ミュージカルの起源はオペラにあります。オペラはルネッサンス末期の16世紀~17世紀頃、イタリアのフィレンツェの貴族バルディ家が芸術家や学者たちを集め、ギリシア神話を題材に音楽劇の上映したことから始まりました。
時代と共に変化を重ね、オペラの物語の合間に、喜劇的な場面が挿入されるようになっていきます。17世紀の半ば頃になると、それが独立した作品として「オペラ・ブーファ」と呼ばれるようになり、やがてこのオペラ・ブーファが、イギリス(ロンドン)では「コミック・オペラ」、フランス(パリ)では「オペラ・コミック」、オーストリア(ウィーン)では「オペレッタ」として発展していきました、と、ここまではヨーロッパの話。そのコミック・オペラが1900年~20年代にかけてアメリカにも上陸し、一世を風靡しましたが、1920年代後半には社会や人々の思考の変化により徐々に人気が衰えていきました。
音楽の世界でも、1870年頃からアメリカの酒場ではジャズの源流である黒人文化のラグタイムと呼ばれる新しい音楽が人気を集めるようになり、コミック・オペラは、アメリカでまずミュージカル・コメディへと移り変わっていきました。当時アメリカで流行っていた大衆向けの演劇を行う小劇場「
ボードビル(Vaudeville):寄席演芸」と相まって、ミュージカルに近い形になってきましたが、まだミュージカル・コメディにはほとんどストーリー性はあまりありませんでした。
1927年12月27日、ニューヨークで初めて本格的な物語性を持った作品「ショーボート(Show Boat)」が公演されました。この作品は、リアリティのある登場人物が物語の展開を設定に即して歌い、人間問題や結婚生活の破綻といった社会問題を扱っていました。この作品によってブロードウェイには、それまでのミュージカル・コメディに代わって、より現代的なミュージカル・プレイが誕生したとされています。それ以後、物語と音楽の一貫性、融合性の方向が明確化された作品が作られるようになり、現代ミュージカルが誕生したとされています。
ブロードウェイの由来
ブロードウェイはオランダ語由来
「Broadway(ブロードウェイ)」という言葉の由来は、オランダ語で広い道を意味する「Brede weg(ブレイディ・ヴェーク)」を直訳して使用されたことに始まります。
ブロードウェイは、アルゴンキン語派で「
the Wickquasgeck Trail(ウィクカスゲック・トレイル)」と呼ばれ、元々その土地にいたアメリカン先住民が形成した、沼地、岩場、灌木を通る大きな道のことで、現在のようにマンハッタン島を上下に縦断するように造られていました。
マンハッタンの南北を結ぶ道:ブロードウェイ
ブロードウェイの由来は、マンハッタンの歴史を理解すると明瞭になります。1609年、オランダ東インド会社が、アジアに通じる北西航路開拓を求めた際、イギリス人探検家のヘンリー・ハドソン(後にその名がハドソン川の名前の由来となる)を雇いました。マンハッタン島へ上陸を果たしたハドソンは、島の西側の川を北上した際に出会ったアメリカ先住民らと交易を行い、ビーバーやカワウソの良質の毛皮などを入手しました。これをきっかけに毛皮交易を始めたオランダ人は、流域一帯をオランダ領ニューネーデルラントと宣言してマンハッタン島の最南端に植民地を建設、1625年にはその中心に都市「ニューアムステルダム」を設けました。
ニューアムステルダム(マンハッタン南部)からウィクカスゲック・トレイルを利用してマンハッタン北部の農場へ移動していたオランダからの移民らは、当初この道を「Heerestraat」と呼んでいました。この道が後のブロードウェイです。つまりブロードウェイは元々、南部に住むオランダ人が北部の農場へ往復するための道だったのです。
ブロードウェイ=劇場街(シアター・ディストリクト)となったきっかけ
現在でもブロードウェイはマンハッタンの南北を結ぶ旧道として残っていますが、タイムズスクエア周辺の劇場街を指す意味でも使われます。
ブロードウェイに劇場街が形成され始めたのは、1880年にブロードウェイと41丁目の角にメトロポリタン・オペラハウスが建てられたのがきっかけでした。このオペラハウスを中心に、南北は41丁目から54丁目、東西は6番街から8番街までに劇場が建てられ、演劇産業が大きく発展しました。
また、1904年、7番街とブロードウェイの交差する場所に「ニューヨーク・タイムズ」のビルが建てられ、その場所がタイムズスクエアと改称されて以降、タイムズスクエアを中心にブロードウェイは発展していき、ブロードウェイ = 劇場街(シアター・ディストリクト)を表す言葉として浸透していきました。
オン・ブロードウェイとオフ・ブロードウェイの違い
基本は劇場の客席数の違い
通常、ブロードウェイと呼んでいる作品は、オン・ブロードウェイのことを指しています。これに対して、オフ・ブロードウェイ、オフ・オフ・ブロードウェイという呼称もあります。劇場の客席数によってオン、オフ、オフ・オフと分類されています。
オン・ブロードウェイの劇場の座席数が500以上。劇場が大きく、大規模なセットが組まれる事が多くあります。または出演する俳優の数も多い傾向にあります。オフ・ブロードウェイの劇場の座席数は499から100。オン・ブロードウェイと比べるとオフやオフオフは劇場が小さいため、低予算ではあるものの実験的で挑戦的な作品が作られる傾向にあり、ときどき万人受けしない作品もありますが、オフ・ブロードウェイで大ヒットし、オン・ブロードウェイにトランスファーされ大成功した作品も多くあります。
オフ・ブロードウェイでヒットし、オンにあがった作品
以下は、オフ・ブロードウェイで成功してオン・ブロードウェイにあがった代表的な作品です。
シンガーソングライター「アナイス・ミッチェル(Anais Mitchell)」の同名コンセプト・アルバムを元に作られたミュージカル。
ソーシャルメディアと社会関係を描いたミュージカル。孤独で社会不安障害に苦しんでいた少年が、とある事件をきっかけに、自分の居場所を社会の中に見つけていきます。
1980年代のロック曲をふんだんに使ったミュージカル。トム・クルーズやキャサリン・ゼタ=ジョーンズが出演した同名の映画の基になったミュージカル。
俳優がパペットを使いながら上演するミュージカル。Sex、人種差別、無職、インターネット中毒など、社会を風刺した内容で、ニューヨーカーに大ウケしました。
ニューヨーク・ブルックリン出身の作家:ネッド・ビジーニが、出版した同名小説を原作としたミュージカル。20代前後の若者を中心にSNSで大きな話題となりました。
レント(RENT)は、オペラ「ラ・ボエーム」を基に作られた、ニューヨークのイーストヴィレッジの若者たちの葛藤を描いたミュージカル。
ミュージカル「ハミルトン」の作詞作曲をしたリン=マニュエル・ミランダが、ワシントン・ハイツのドミニカン・アメリカンの日常を描いたミュージカルです。
オフ・ブロードウェイにもロングラン作品があった
オフ・ブロードウェイにも、多くのロングラン作品があります。1960年にSullivan Street Playhouseで始った「ファンタスティックス(The Fantasticks)」は、なんと42年間も上演され、公演数は17,162回まで積み上がりあがりました。この記録は、オン・ブロードウェイの最長記録(オペラ座の怪人)を遥かに上回っています。
ファンタスティックスに続いてロングランなのが、1991年に始まったブルーマンと1994年に始まったストンプです。どちらもまだ上演中。もしかしたらファンタスティックスの初演の記録を抜く、なんて日が来るかもしれません。
シアター・ディストリクトとは
シアター・ディストリクトはブロードウェイ劇場街を意味します
ブロードウェイ劇場街/シアター・ディストリクト(Theater District)とは、マンハッタン中心のタイムズスクエアを含む東西が6番街西から8番街東、そして南北が40丁目から54丁目までのエリアのことを指します。このエリアには、ブロードウェイミュージカルの劇場や、映画館、レストラン、ホテル等のレジャー施設が集まるニューヨーク随一の繁華街となっています。
1800年代後半に街の中心が北上しこのブロードウェイ界隈は開発されました。1900年代の初頭には、地下鉄が通るようになり、現在のブロードウェイ劇場街(Theater District)の姿が見られるようになりました。電気が発明され煌々と光るネオン街を指して、当時はThe Great White Wayとも呼ばれていました。
ブロードウェイの地図
ブロードウェイについてのよくある質問