Stephen Sondheim スティーヴン・ソンドハイム劇場の詳細

ブロードウェイの偉人であり伝説の作曲家、スティーヴン・ソンドハイムの名が付いた劇場。2階席でも比較的見やすい。

ブロードウェイミュージカルのスティーヴン・ソンドハイム劇場

スティーヴン・ソンドハイム劇場の基本情報

スティーブン・ソンドハイム・シアター(Stephen Sondheim Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :124 W 43rd St, New York, NY 10036(地図
43ストリート沿い、ブロードウェイと6番街の間
創設 :1918年
収容人数 :1,055人
座席表 :※クリックして拡大できます
スティーヴン・ソンドハイム劇場の座席表

スティーヴン・ソンドハイム劇場の行き方・アクセス

スティーヴン・ソンドハイム劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

1 2 3 7 A C E N Q R W 路線「42st – Times Square / Port Authority」駅から徒歩5分ほど

B D F M 路線の 「Bryant Park」駅から徒歩5分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

スティーヴン・ソンドハイム劇場の地図

以下は、スティーヴン・ソンドハイム劇場(Stephen Sondheim Theatre)の地図です。

スティーヴン・ソンドハイム劇場の歴史

1918年にヘンリー・ミラー劇場として創設

スティーヴン・ソンドハイム劇場(Stephen Sondheim Theatre)は、元々イギリス生まれの役者でディレクター、劇場プロデューサーのヘンリー・ミラー(Henry Miller)によって建設された「ヘンリー・ミラーズ劇場(Henry Miller’s Theatre)」から端を発します。

1918年4月1日に「若返りの泉(The Fountain of Youth)」の公演とともに開業したヘンリー・ミラーズ劇場は、創設  当初の座席数950席とブロードウェイの劇場の中では比較的小さな劇場ですが、当時公演されていたミュージカルの規模に合ったちょうど良いサイズの劇場として人気がありました。また、ブロードウェイの劇場で初めて冷房設備を導入した劇場という事でも話題となりました。

ヘンリー・ミラーはロンドンで生まれ、子役として俳優業を始めた頃に両親と共にカナダへ移住しました。彼は子役として1878年トロントのグランド・オペラハウスにてデビューしています。その後ニューヨークに渡米し、いくつかの劇場プロデュースにも携わり、1917年に自身の劇場「ヘンリー・ミラーズ劇場」を開きました。

息子のギルバート・ミラーによる黄金時代とトニー賞受賞

1926年にイギリス出身の俳優・作家・脚本家・演出家であるノエル・コワード(Noel Coward)による作品「ザ・ボルテックス(The Vortex)」で、ヘンリー・ミラー劇場初のヒット作を出しますが、同年ヘンリーは死去してしまいます。「ザ・ボルテックス」の演出兼役者としてコワードは舞台に立っていましたが、その当時身につけていたタートルネックのセーターや首に巻くスカーフなどは1920年代のファッションに大きく影響を与えました。

ヘンリーの死後、劇場の後を継いだ息子のギルバート・ミラー(Gilbert Miller)は、敏腕キャスティングとして、その時代を代表する役者陣を多く起用することによって、劇場プロデューサーとして成功を収めます。

アカデミー主演男優賞を2度受賞したラズリー・ハワード(Leslie Howard)、女優のヘレン・ヘイズ(Helen Hayes)、無声映画時代を代表する女優のリリアン・ギッシュ(Lillian Gish)や、世界で初めてアカデミー賞授賞式を開催した人物の一人のダグラス・フェアーバンクス(Douglas Fairbanks)など錚々たるメンバーが出演し、1930年代から60年代はスティーヴン・ソンドハイム劇場の黄金時代と言われるようになりました。

また、各公演の売上利益の25%を健康政策に関連する問題の研究を支援するミルバンクメモリアル基金(Milbank Memorial Fund)に募金するなどの活動も行っていました。

当時の話題キャストを積極的に起用することで活気に溢れていた劇場は波に乗り、ギルバート・ミラーが演出を手掛けた作品は3度トニー賞にノミネートされ、遂には「カクテルパーティー(The Cocktail Party)」が第4回トニー賞(1950年)演劇作品賞を受賞します。1965年には、88公演ものミュージカルを作り出したことに加えて、ニューヨークとニューヨークの劇場を存続させた努力と忍耐力が讃えられ、ギルバート本人がトニー賞特別賞を受賞しています。

低迷期のポルノ劇場、ナイトクラブを経て劇場として復活

1966年にミラー家は、ヘンリー・ミラーズ劇場をネダーランダー・オーガニゼーション(米国でシューベルト・オーガニゼーションの次に大きな劇場所有団体)へ売却しましたが、1968年にすぐ不動産投資家のシーモア・ダースト(Seymour Durst)へ売却され、長編映画を放映する劇場へと姿を変えました。

しかし、すぐに「Avon-at-the-Hudson」という名のポルノ劇場へと変貌し、1978年にはディスコクラブへ、1985年には「SHOUT」という名で50年代や60年代の音楽を流すナイトクラブへと姿を変えました。ナイトクラブとして6年間続いた後に閉店しましたが、1995年に「Expo」という名前でクラブとして再オープンしました。

1998年にようやく「the Kit Kat Club」という名前で公演を行う会場へと徐々に本来の劇場としての姿に戻っていき、2001年に「Urinetown」を公演する際にヘンリー・ミラー劇場として再びミュージカルを公演する劇場として戻ってきました。

Bank of America Tower (BOAT) の建設と共に再建築される

2004年に57階建てのバンク・オブ・アメリカ・タワーの建設のため、劇場は取り壊され、再建する事になります。通称BOATと呼ばれているこの超高層ビルは、ニューヨーク市で4番目に高いタワーとなり、氷を用いた冷房システムを採用した環境に優しいビルとなっています。

劇場を建て直すにあたり、上層階に銀行施設がある事から劇場は地下階での建造を余儀なくされますが、座席数が現在の1055席に増やす事ができました。ちなみに、地下にある劇場はマンハッタンに2つのみ(スティーヴンソンドハイム劇場とサークル・イン・スクエア劇場)となります。
2007年には、ラウンドアバウト・シアター・カンパニー(Roundabout Theatre Company)が運営を開始すると発表し、自身にとって3個目の劇場運営となりました。2009年にランドアバウトのオリジナルミュージカル作品である「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdie)」の公演とともに再出発しました。

これまでに様々な姿へと変化を遂げてきたヘンリー・ミラーズ劇場ですが、2010年3月22日にミュージカル界に多大な影響と貢献をもたらし、大統領自由勲章を受章した作詞作曲家であるスティーヴン・ソンドハイムの88歳の誕生日を記念して、「スティーヴン・ソンドハイム劇場」に改名、半年後のBBCプロムスで開催されたセレモニーにて、正式に現在の劇場名で運営開始となりました。

スティーヴン・ソンドハイム劇場の由来

作曲家スティーヴン・ソンドハイムについて

スティーヴン・ソンドハイム(Stephen Sondheim)は、マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドで生まれ育った作詞作曲家です。1930年3月22日に生まれてから、半世紀以上にわたってミュージカル界、映画界に貢献してきました。

9歳の頃、ブロードウェイ・ミュージカル「Very Warm for May」を鑑賞したことをきっかけにミュージカルに興味を持ち、その後トニー賞8回、アカデミー賞1回、グラミー賞8回、ピューリッツァー賞1回、ローレンス・オリヴィエ賞1回のほか、2015年には大統領自由勲章を受賞する人物へと成長します。

ソンドハイムは裕福な家庭に育ちましたが、10歳の時、父親が別の女性と一緒になるために家を去り、両親は離婚します。その後ソンドハイムは母親と共に暮らしますが、父親に裏切られた母親はソンドハイムを父に投影して暴力を振るってしまい、精神的にソンドハイムを苦しめました。兄弟もいなかったソンドハイムは家族からの愛情を受けないまま、人間的な繋がりを持てず孤立していました。

そんな中、ソンドハイムは、ジェイムズ・ハマースタイン(James Hammerstein)という少年と友達になり、彼の父親であるオスカー・ハマンスタイン2世(Oscar Hammerstein II)が代理父となります。作詞家で脚本家であったオスカーは、ソンドハイムに深く影響を与え、ミュージカル劇場への愛情を育てる事となります。ウィルアムズ・カレッジで音楽を学び、25歳の若さでレナード・バーンスタイン作曲の大ヒット作「ウエストサイドストーリー」の作詞を任され、最初の成功を収めました。
作詞作曲家としての有名作品だけでも「ローマで起った奇妙な出来事」「ジョージの恋人」「イントゥ・ザ・ウッズ」などがあり、映画界の音楽面でも活躍し、1981年ウォーレン・ベイティの映画「レッズ」の曲「Goodbye for Now」や1990年代の映画「ディック・トレイシー」においてマドンナの「Sooner or Later (I Always Get My Man) 」など5曲を作曲し、アカデミー歌曲賞を受賞しました。トニー賞においては特別功労賞を含み、作曲家として受賞回数最多数を記録しています。

そんなソンドハイムの才能を、「キャッツ」や「オペラ座の怪人」などを手がけた世界を代表する演劇プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュは、「かつてない最高の作詞家であろう」と高く評価しています。

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