ネダーランダー劇場の基本情報
ネダーランダー劇場(Nederlander Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。
住所 : | 208 W 41st St, New York, NY 10036(地図) 41ストリート沿い、7番街と8番街の間 |
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創設 : | 1921年 |
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収容人数 : | 1,232人 |
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座席表 : | ※クリックして拡大できます |
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ネダーランダー劇場の行き方・アクセス
ネダーランダー劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。
「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。
ネダーランダー劇場の地図
以下は、ネダーランダー劇場(Nederlander Theatre)の地図です。
ネダーランダー劇場の歴史① 創設~暗黒時代
ブロードウェイ最南端にてナショナル劇場として創設
ネダーランダー劇場(ネーデルランド劇場 Nederlander Theatre)は、1921年、当時劇場運営者として名を馳せていたウォルター・C・ジョーダン(Walter C. Jordan)により「ナショナル劇場(National Theatre)」として創設されました。
建築デザインは、建築士のウィリアム・ニール・スミス(William Neil Smith)が手掛け、演劇作品とミュージカル作品の両方に対応可能な劇場として開業時から賑わいを見せていました。建設当時、ナショナル劇場の周辺には多くの劇場であふれていましたが、プレイハウスやコメディハウス、カジノの取り壊しなどが相次ぎ、結果として
ブロードウェイ地区の最南端に位置する劇場となってしまいました。
トラブルが続き、改名が相次いだ時代
1956年まではシューベルト家がナショナル劇場を所有していましたが、反トラスト法で劇場の独占所有が禁止され、訴訟を起こされる事態に進展します。訴訟を起こされた結果、所有していたいくつかの劇場を売却させられる事になり、対象となったナショナル劇場は、不動産弁護士のハリー・フロムケス(Harry Fromkes)へ売却される事となりました。
熱狂的な劇場ファンとして知られていたフロムケスは、次の劇場建設の構想段階で自身の劇場運営組織を立ち上げるほどでしたが、不運にも自宅アパートの12階の窓から転落して死亡し、劇場建設には至ることはありませんでした。
彼の死亡理由については異なる説が存在し、ナショナル劇場を購入する際に、シューベルト家から約$700,000(約8千万円)のローンを組んでいたにも関わらず、彼の所持する現金は底をつき、ローン返済が出来ませんでした。挙句の果てには、チケットの前売りで得た売上金$17,000も手を出してしまい、こちらも返済が出来ずと、フロムケスへの社会的圧力や精神的圧力は日に日に増していきました。そのために自ら命を絶ったのではないか、という金銭トラブルによる自殺説もあります。
ハリー・フロムケス死後、興行主であったニューヨーク出身のビリー・ローズ(Billy Rose)がハリーの私有地を買い取りました。1959年には劇場に自身の名前を付け、「ビリーローズ劇場(Billy Rose Theatre)」としてオープンします。ビリー・ローズは劇場の様々な部分を改装しましたが、1966年に他界。その後の劇場は荒廃し、10年以上もの間使用されずに時を過ごしました。
1978年、数多くの劇場を所有するネダーランダー・オーガニゼーションがビリーローズ劇場を購入し、改装、劇場名を「ザ・トラファルガー劇場」としてオープンしましたが、すぐに改名。劇場名を同社の創設者であるデイヴィッド・トバイアス・ネダーランダー(David Tobias Nederlander)から取り「デイヴィッド・ティー・ネダーランダー(The David T. Nederlander Theatre)」と改名しました。今日では、人々からは単に「ネダーランダー劇場」として認知されています。
1990年代初期、ネダーランダー劇場の客席は空席ばかりの日々が続いていました。当時は
リハーサルスタジオを借りて練習をするより、本番の劇場であるネダーランダーの舞台上で練習をする方が安価に済んだという程、劇場本来の役目を果たせておらず、事実、リバイバル作品の『グリース(the 1994 Grease)』や『バスカー・アリー(Busker Alley)』などの作品はネダーランダー劇場をそのままリハーサル会場として使用しておりました。
ネダーランダー劇場の歴史② レント以降
ミュージカル「レント」に救われた劇場
1994年からオフ・ブロードウェイで上演され、大成功を収めたミュージカル「レント(RENT)」。オン・ブロードウェイ公演に向け、プロダクションは相応しい劇場を探しており、様々な劇場から歓迎のオファーを得ていましたが、納得のいく劇場が見けられずにいました。さらにいくつかの劇場を見て回り続けた結果、プロデューサーのケヴィン・マックコラム(Kevin McCollum)とジェフリー・セラー(Jeffrey Seller)は、レントに求められる要素を十分に持っていると判断してネダーランダー劇場を選びました。
何十年もの間、ロングラン公演を出せていない状況に加え、荒廃していた劇場ということもあり、当時世間からは「人気作のレントが、ドラッグディーラーや売春婦などが集う41丁目周辺にあるネダーランダー劇場を選ぶのは狂気の沙汰だ」と騒がれるほどでした。
しかし世間の思いをよそに、1996年4月29日からネダーランダー劇場にて公演を開始したレントはトニー賞ミュージカル部門で最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀オリジナル作曲賞、最優秀助演男優賞を受賞し、またピューリッツァー賞ドラマ部門でも最優秀作品賞を受賞するなど、数々の栄冠に輝きました。
ネダーランダー劇場でのレント公演の社会的影響力は大きかったと言います。41丁目エリアに観客が集まることで治安が向上し、当時治安が最悪であったニューヨーク市の治安向上のために、3つの公約を掲げた
ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニ氏の取組みと相俟って、危険地域であった41丁目エリアは姿をすっかり変え、2008年9月7日の終演を迎える頃には一流ホテルやレストランで埋め尽くされるまでになりました。
今は無い「レントの壁(The Rent wall)」
ミュージカル・レントが12年間のロングラン公演を終えた頃、衣装室に続く裏道に、「レントの壁」と言われる、無数のメッセージが書かれた壁が出来ました。この壁は劇場関係者、もしくはキャストだけが通れる道にあったのですが、口コミでこの壁の事がファンに知れ渡った結果、劇場側が、一般入場者にもメッセージが書けるように入り口にメッセージを書いて良い許可を出しました。観客のメッセージ内容は、レントが観客それぞれに与えた意味をみんなにシェアするものでした。
書き初めの頃は、関係者のセレブの人だけがメッセージを記載していた壁でしたが、ニューヨーク市ブルックリン出身で小学5年生の先生をしていたミセス・フィールドさん(Mrs. Field)が初めて一般人として壁にメッセージを記載したのをきっかけに、一般の人々もそれぞれの思いを書くようになりました。話題となったレントの壁でしたが、2016年、きれいに塗り直されてしまいました。
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