
ブロードウェイ俳優 岩井麻純さん
ブロードウェイの関係者の方にインタビューをしていく本企画。今回は、ミュージカル『王様と私』『ファニー・ガール』でブロードウェイの舞台に立った日本人の俳優、岩井麻純(Masumi Iwai)さんにお話を伺いました。
岩井さんは日本の大学を卒業し、23歳で渡米。ブロードウェイに何もコネクションが無い中で、200件をも超えるオーディションを受けて夢を掴んだ方です。「苦労をした時を忘れたくない」「ずっと謙虚であり続ける人間でいたい」と語る岩井さんの姿勢は、これから何かに挑戦したいと思っている全ての方に響くものだと思います。ぜひお楽しみください!
何のコネクションもない「ただのダンス学生」からのスタート。小さく、少しずつ経験を積み上げてきた

トニー賞の授賞式の会場にて
──どのようにブロードウェイの俳優になりましたか? 何を学び、どのような方法でブロードウェイの仕事を勝ち取ったのでしょうか?
「愛知県に生まれ、8歳から地元の舞踊団に所属して、ダンスを習っていました。劇団四季に憧れていて、大学は大阪芸術大学のミュージカル学科に進学しました。ただ、残念ながら大学卒業のタイミングで劇団四季に合格できなかったため、23歳の時にニューヨークへ渡りました。
もともと、所属していた舞踊団の一員としてアメリカでパフォーマンスした経験があったり、また大学在学中に1か月ニューヨークに滞在していた経験もあったので、この街にはある程度の親しみがありました。学生時代に1カ月間、ニューヨークに滞在した時は、数多くのショーを観劇しました。また、『ブロードウェイ・ダンスセンター』という、観光客でも誰でもレッスンが受けられるダンススタジオでレッスンを受けたりと、インプットに励んでいました。正直なところ、この時の滞在ではニューヨークという街自体にはあまり惹かれませんでしたが、ブロードウェイの役者層の厚さや舞台の質の高さには深く感動し、憧れと共に帰国しました。」
──23歳でアメリカに来られて、まず何をしたのでしょうか?
「学生ビザを取得し、『ペリダンス・カペジオ・センター(Peridance Capezio Center)』というコンテンポラリーダンスを専門とする学校に通い始めました。ビザの関係で有償の仕事はできなかったため、渡米から2か月ほど経った頃から、無償で舞台に立てるコミュニティシアターに参加し、ミュージカルの舞台に立つようになりました。日本人がいない、日本語を使わない環境に身を置こうと思ったこともあり、学校の外のコミュニティに足を踏み入れたのです。実は、こちらのインタビュー第2回を担当した韓国人のジューミンさんも、その時一緒に活動していました。
コミュニティシアターのオーディションは、インターネットで募集情報を見つけ、自ら応募しました。アメリカのオーディションと聞くと、”渡米2か月の駆け出しの学生にはまだ早いのではないか” という印象があるかもしれませんが、ニューヨークでは広く門戸が開かれていて、”誰でも受けて良い” という雰囲気があるのです。だから私も、”とりあえず行ってみよう!” と踏み出すことができました。」
──大学などのコネクションがない中での挑戦は、まさにリアルな体験談として貴重です
「そうですね、私はアメリカの大学には通っていなかったので、演劇関連のインターン経験もなく、エージェントとの繋がりも一切ない、まさにゼロからのスタートでした。そこからよく頑張ったなと自分でも思います(笑)
アメリカの良いところは、演劇関係の仕事が非常に多い点です。アメリカの文化では舞台観劇が生活の一部になっており、地方にも多くの劇場があります。”幼い頃、家族でよくミュージカルを観に行きました” と話すアメリカ人が多いことからも、舞台芸術が人々の生活にどれだけ浸透しているかがうかがえます。これは日本との大きな違いだと感じます。
そのため、オーディションの機会も豊富にあります。現在はエージェントと契約しており、紹介を受けた “インバイトコール” に参加することが多いですが、エージェントがいなかった頃は、”オープンコール” と呼ばれる、誰でも参加可能なオーディションに足繁く通っていました。朝から会場に並び、順番をひたすら待つ日々。せっかく長時間待ったにもかかわらず、”今回は黒人のキャストを探している” といった理由でその場で帰されることも日常的にありました。」
100も200もオーディションを受けて、ようやく掴んだブロードウェイ・デビュー

『ファニー・ガール』の劇場前にて
──学生ビザ終了後の活動について教えてください
「約2年半の学生生活を終えた後、OPT(アメリカの学生ビザを持つ留学生が卒業後の1年間専門分野で就労が出来るビザ)を取得しました。OPT期間中の仕事は、在学中に受けたオーディションで合格をいただいたことで決まりました。5月から8月までは “サマーストック” と呼ばれる、地方に泊まり込みで舞台に出演する機会をいただき、その後はミュージカル『王様と私』のアメリカツアーに参加させていただきました。
OPT期間の仕事が決まるまでは、まさに怒涛の日々でした。朝はオープンコールに並び、オーディションを受け、学校に戻って3クラス受講するというスケジュールをこなしていました。ダンスの学生には、”1週間に13クラス受講” というノルマがあったため、休む間もなく日々を走り抜けていた記憶があります。
『王様と私』のツアーでは、日本人のミュージックデザイナーであるヒロ・イイダさんとの出会いや、アメリカ人である現在の夫との出会いなど、多くのご縁がありました。OPT期間終了後は、再びオーディションを受けながらさまざまな舞台に立ち、ブロードウェイの舞台を目指して少しずつ経験を積んでいきました。」
──ハードなオーディション期間を経て、ご自身を磨いてきたのですね
「これまでに受けたオーディションは100、200件ほどにのぼります。受けられるものは全て挑戦してきましたし、評価が得られなかった経験も数えきれないほどあります。それでも一つひとつを全力で取り組み、たとえ合格できなかったとしても “また一歩前進できた!” と気持ちを切り替えながら、がむしゃらに走り続けていました。今も多くのオーディションを受けていますが、最近では “自分がオーディションで出来ることは、ベストを尽くすこと。それ以降は相手が決めることだから、自分ではコントロールできない” と考えるようになりました。”自分ができること” と、”相手が求めていること” が合致するかどうかは巡り合わせですから。だからこそ、1つ1つのご縁を大切にしていきたいと思っています。
そして2022年、ブロードウェイ・デビュー作となる『ファニー・ガール』とご縁をいただきました。オーディションを受けたきっかけは、一般公募でした。自ら送ったビデオが振付家の方に評価され、正式にオーディションへご招待いただいたのです。パンデミック中であったこともあり、一般応募のビデオにも目を通していただけたこと自体が、非常に幸運だったと感じています。」
──『ファニー・ガール』のオーディション合格は、どのように知らされたのですか?
「当時は事務所に所属していなかったため、作品のキャスティングの方から直接お電話をいただきました。アメリカ人の夫に “212(ニューヨークの番号)から始まる電話番号から電話が来たら、オーディション関連だよ” なんて冗談まじりに言われていたのですが、本当に “212” からかかってきたのです!
その時に住んでいたアパートメントが築年数の古いビルで、電波の状況が悪く、パジャマのまま外に飛び出し、道端で合格の知らせを聞きました。”これがあなたのブロードウェイデビューだよね。おめでとう!” と言っていただき、思わず号泣してしまいました。」
──素敵なエピソードですね!
「その日のことは、今でもよく覚えています。まず “タップのショーである『ファニー・ガール』に出演するならタップダンスをやらなきゃ!” と思い立ち、その日の夕方からのタップダンスのレッスンを予約しました。次に、『ファニー・ガール』が上演されると噂されていた劇場へ足を運び、通りがかった方に写真を撮ってもらって。”ここで上演される新作のミュージカルに私出るんです!” と興奮気味にお伝えしたりして。─────実際には別の劇場で上演されたのですが(笑)
それから、タイムズスクエアにも足を運びました。タイムズスクエアって、ニューヨークに住んでいると意外と行かない場所なのですが、初めてニューヨークに来た時はまず訪れて、この街のパワーを感じる場所ですよね。そんなタイムズスクエアで “I made it!(やってやったぞ!)” と心を震わせていました。ここまで来るのに長い道のりがありましたし、夢を掴めたことが本当に嬉しかったです。
合格を告げられた時、日本時間はもう深夜だったのですが、どうしても母に報告したくて電話をかけました。オーディションはたくさん受けていたので、一々報告をしていませんでしたし、母も実感が湧かなかったのか、最初は “そっか” という感じの反応で。でも話していくうちに状況を理解してくれたようで、”わ〜!あんた良かったねえ〜!!” と泣いてくれて。嬉しかったですね。遠く離れたニューヨークで挑戦する私を信じてくれていたことに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。」
──全ての努力が実った瞬間のお話、胸が震えます
「余談ですが、タップダンスのお話を少ししておきます。実は、もともとタップダンスはレッスンは受けていたものの、苦手意識がありました。ですが、タップダンスのショーとも言える『ファニー・ガール』に合格して以降、より懸命に取り組んだ結果、”タップダンスが出来る人” のような印象を持たれるようになり、その後も『クレイジー・フォー・ユー』や『42nd ストリート』といったタップダンスが見どころの作品に出演させていただいたのです。得意ではなかったものが、いつの間にか自分の肩書きに加わり、それが通用するようになったりするので、仕事っておもしろいですよね。
ブロードウェイの舞台に立つ方々は、何でもできる人がとても多いのです。どんな舞台にも対応できる、オールマイティな俳優さんが当たり前のようにたくさんいます。ですから、私もさまざまなレッスンを受け続けています。バレエ、タップ、ヒップホップ、歌……どのレッスンでも “もっと上がいる!” と刺激を受けて、もっとやらなければと日々レッスンに通っています。何にも満足できませんし、お金がいくらあっても足りないくらいです(笑)
ニューヨークで成功している方々は、周囲への感謝を忘れず、謙虚な姿勢を持つ方ばかりなのです。それは皆さん、それだけの苦労を経験しているからだと思います。例えば、『王様と私』『ミス・サイゴン』『マイ・フェア・レディ』に出演されていた日本人俳優の由水南(ゆうすい みなみ)さんは、私が学生時代から知っている憧れの存在なのですが、新人にも明るく声をかけてくださる、本当に素敵な方です。そんな方とお話ししていると、私自身もまだまだだなと感じさせられます。
リハーサル室にいて欲しいと思われるキャラクターになりなさい! という言葉があります。技術的にどれだけ優れていても、それだけでは選ばれず、謙虚で、共演者やスタッフとスムーズに仕事ができる人が好まれるのです。なぜなら、ほとんどの人が技術的には非常に高いレベルにあるので、大きな差はないのです。その中で選ばれるかどうかは、人柄や仕事に取り組む姿勢が問われる世界だなと、感じています。」
夢を持つ人たちが、自分を通して “ブロードウェイは自分の延長線上に存在している” と感じてもらえたら嬉しい

レコーディング風景
──ブロードウェイの舞台に立つ楽しさは何ですか?
「好きなことを仕事にしているので、舞台に立っている時は毎日が楽しいのです。舞台に立って、踊って歌って、人に夢を与える。こんなに素敵な仕事は他にないと、心から感じています。また、『ファニー・ガール』では、オリジナルキャストとしてトニー賞でパフォーマンスする機会をいただいたり、サウンドトラックの収録にも参加させていただいたりと、毎日が夢のようでした。
そして、実感として嬉しいのは、夢を持つ方々が声をかけてくださることです。ステージが終わった後、ステージドア(出待ち)で “私はアジア人で、ブロードウェイの舞台に立ちたくてニューヨークで挑戦しています”、”海外から来て夢を掴んだアジア人のあなたにとても刺激を受けました” と声をかけていただいたこともありますし、インスタグラムで “私も海外で挑戦したいと思いました”、”何から始めれば良いのか、相談しても良いですか?” といったメッセージをいただくこともありました。そうした声を受け取るたびに、”ここまで続けてきて本当によかった” と心から思います。私自身も由水南さんに憧れて、出待ちで直接お話しできた時の感動を今でも覚えていて、その思い出と重ねて嬉しさがこみ上げてきました。出演者と実際にお話しできて、つながることができる “距離の近さ” は、舞台の素敵な魅力の一つだと思います。」
──ますみさんのインスタグラムといえば、「#ブロードウェイの舞台裏」というハッシュタグでブロードウェイのバックステージを発信されていましたね。メッセージをくれた方は、それを見て連絡をくださっていたのでしょうか?
「そうかもしれませんね。”#ブロードウェイの舞台裏” の動画は、私がブロードウェイの舞台に出演していることを日本の皆さんに知っていただけるきっかけになればと思い、始めたものでした。私の日常を共有するというよりは、”ブロードウェイの裏側はこんな雰囲気ですよ” と日本の方々に知っていただきたいと思い、頑張って編集をしていました。
実を言うと、私はもともとSNSに対して積極的な方ではなく、舞台裏に携帯電話を持ち込むことにも少し抵抗があります。ただ、私が学生の頃、プロフェッショナルの舞台がとても遠い存在に感じられ、直接アドバイスを受けられるような存在が身近にいなかったことから、自分が少しでもお手伝いできたらと考えるようになりました。ブロードウェイは決して別世界ではなく、”自分の延長線上に存在している場所なのだ” と感じていただけるようにと願いながら、ショーの合間にせっせと撮影をしていました。」
──「#ブロードウェイの舞台裏」は本当に楽しくて、勉強になります!キャストさん同士こんなに仲良くやっているんだ、というのも意外でした。
「ありがとうございます。編集もアテレコも時間がかかるので大変でしたが、今振り返っても、やってよかったなと思います。『ファニー・ガール』のキャスト同士は本当に仲が良かったのです。ただ、“これだけ仲が良いのは珍しいよ” と、他の舞台を経験されたことのあるキャストの方が言っていましたが(笑)。そういった部分も含めて発信できたことは、私にとって大きな財産になりました。」
作品が終演すれば、人知れず自分と戦い続ける「オーディション期間」に叩き落される職業

タイムズスクエアで『ファニー・ガール』の曲を披露。左から2番目が麻純さん
──ブロードウェイの舞台に立つ上で大変なことは何ですか?
「舞台に出演している間は、大変だと感じることはほとんどないのです。もちろん、常にコンディションを万全に保たなければならないことや、週6日同じ動きを繰り返すことで怪我をしやすいこと、夜にご飯へ行けないことなど、小さな大変さはいくつもありますが、それらを差し引いても舞台に立てていることが本当に幸せなので、苦ではありません。
むしろ、私が一番大変だと感じるのは、オーディション期間中なのです。カンパニーという所属が無くなり、非常に孤独を感じる時期でもあります。舞台に出演している間の華々しさから一転、注目をされない場所に戻る感覚があります。オーディション期間中も、私自身の生活は、朝にバレエに行って、ランニングに行って、オーディションに行って、、と変わることなく続いて行くのですが、舞台に立っていない自分をSNSに載せても面白いものではないな、と思いつつ更新も減り、取材を受けることも減り、ただただ人知れず頑張っている期間になります。
大学の先生が、”この職業を選んだからには、一生就職活動だよ” と仰っていたのですが、今、それを身をもって実感しています。ニューヨークでは常に数多くのオーディションが開催されており、1日に複数受けることも珍しくありません。毎日のようにオーディションを受けていても、半年間何の仕事も決まらず、精神的に不安定になってしまうこともあります。人と比べてはいけないと思っていても、一緒にオーディションを受けていた方や友人が仕事を勝ち取っているのを見ると、やはり悔しさや焦りが湧いてきてしまいます。そんな中で、いかに自分のメンタルをコントロールするか、ということも自分の課題の一つとして取り組んでいます。
『ファニー・ガール』が終演してから早いもので数年経ちましたが、この舞台期間とオーディション期間の光と闇の期間をどちらも知ったからこそ、以前よりも人間的にも成長しているなと感じます。謙虚でいなくては、と思いますね。」
──英語が上達するコツは何ですか?何歳でも間に合うと思いますか?
「英語については、私自身もまだまだ学んでいる途中です。今でも言葉の面で苦労する場面は多くあります。ただ、もし私がある程度できているとするならば、”何歳からでも遅くはない” とお答えします。意識的に英語を使い続ければ、徐々にでも確実にコミュニケーションは取れるようになると思います。
ただ、セリフとなるとまた別で、イントネーションやリズムの壁があり、それは私にとっても今後の課題です。これまではダンサーとして、ダンスのみで出演することも多かったのですが、ずっとそのポジションにいることは良しとしていなくて、やはりセリフのある役柄にも挑戦していきたいです。
具体的な英語の練習方法としては、まずは字幕付きで英語のテレビ番組を見ることから始め、慣れてきたら徐々に字幕を外してみるのも効果的です。また、すでに日本語で見たことがある舞台作品を英語で観劇し、台詞を照らし合わせながら学んでいくという方法もおすすめです。」
──ブロードウェイでアジア人として働いていて、大変だなと感じることはありますか?
「特に不利だと感じたことはありません。むしろ、有利に働いていると感じることの方が多いかもしれません。もちろん、英語が第二言語である以上、言葉の面でのハードルはありますが、”アジア人である” というだけでキャラクターとしての個性が際立つため、むしろありがたいことだと感じています。
もし私が金髪の白人女性だったとしたら、似たような外見の方が多く、競争率が高いですからね。アジア人を必要としている作品においては、比較的高い確率で見つけていただけるので、その点ではアドバンテージになっているのではないかと思います。」
大切にしていることは、「謙虚でい続けること」「毎公演を大切にパフォーマンスすること」

『ファニー・ガール』のカンパニー
──ご自身のどんなところが評価されていると感じますか?
「うーん……正直なところ、自分に自信があまりない人間なので、難しいのですが……。”humble”、つまり “謙虚な姿勢” でしょうか。鼻をへし折られまくる世界ですので、自然と謙虚にならざるを得ません。天狗になろうと思っても、なれないものです(笑)。」
──お仕事をする上でのこだわりはありますか?
「一回一回のパフォーマンスを大切にすることです。これに関しては、誰にも負けないという自負があります。もしかすると、これが私の長所かもしれませんね!
舞台に立つ私たちにとっては日々の仕事かもしれませんが、観客の方々にとっては、数あるミュージカルの中からこの作品を選び、わざわざ時間をかけて劇場に足を運んでくれているのかもしれない。観劇を心待ちにしてくださる皆さんの貴重な時間をこの作品に使っていただいているんだという意識を常に持ち、真摯な気持ちで舞台に立つようにしています。」
──どんな時に達成感を感じますか?
「”達成感” という感情が自分にはあまりピンと来ないのですが、舞台に立っている中で言えば、カーテンコールの瞬間には毎回、”気持ちが良いな” と感じますし、先ほどお話ししたように、ブロードウェイを目指している方から声をかけていただいた時は、やはり嬉しさを感じます。
また、このご質問をいただいて思い出したのですが、『ファニー・ガール』出演後に日本で開催したダンスのワークショップで、レッスン後にたくさんの方々が私に話しかけてくださったのです。列までできていて、まるでミッキーマウスになったような気分でした(笑)その中には、小学生くらいの年齢の子たちもいて、”私もニューヨークに行ってみたいです”、”ダンサーになりたくて頑張っていて、ご活躍が励みになっています” と話してくれて。大人に話しかけるのも緊張するような年齢の子たちが、キラキラとした目で私のことを見てくれているのを目の当たりにした時、”そういう存在になれて良かったな” と心から思いました。そして、自分日本から離れた所で自分で勝手に夢を叶えているのではなくて、日本でも誰かがその姿を見てくれているのだと実感した瞬間でした。それは、間違いなく “達成感” と呼べる経験だったかもしれません。
“ブロードウェイ女優です” と気負うのではなく、いつまでもそういう子どもたちとも常に “人と人” として関係を築ける人であり続けたいと、改めて感じました。
私が通っていた中学校・高校の校訓が 『人間になろう』だったのですが、大人になってからその言葉の奥深さを痛感しています。苦労をしてきた人の方が、表現者としての深みがありますし、私はそういう人たちが大好きです。みんな苦労した時に支えてくれた人がいるからここにいるんだぞ、だから支える側になれるのならなれよ、と、色んな人を見ていて思いますし、自分自身もそれを忘れずにいたいですね!いつまでも『人間』であり続けたいです。」
──これからの目標を教えてください。
「舞台で使える英語に磨きをかけることです。今後は台詞のある役柄にも挑戦していきたいです。また、これはより長期的な目標ですが、”自分らしいキャラクターを確立できたら良いな” と思っています。”私と言えば、こんなキャラクター” と観客の皆さんに印象づけられるような存在になれたら嬉しいですね。
さらに、ブロードウェイの舞台に一日でも長く立ち続けることも目指しています。そのためにも、日々のレッスンを怠らず、技術を継続的に磨き続けたいと思っています。ロングランの舞台に出演している俳優の中には、ある程度の安定があることでレッスンを疎かにしてしまう方もいらっしゃいます。そうした方々をオーディションなどで見かけると、”技術が少し衰えているのでは…” と感じることもあるのです。ですので、私は身体の管理や基礎的な訓練を真面目に続け、長く現役として活躍できる俳優でありたいと思っています。」
──ブロードウェイに挑戦する1歩目としてやるべき事は何だと思いますか?
「やはり、英語力を高めることだと思います。少しでも話せた方がチャンスは広がるので。
あとは、ブロードウェイに関する情報をこまめにチェックすることも大切です。どんな新作があるのか、誰が出演しているのか、制作陣は誰なのか、など幅広く知識を蓄えておくことで、オーディションの際にも作品や関係者の名前を見て具体的なイメージを持つことができます。特に、演出家・脚本家・作曲家・振付師といったクリエイターの方々は、それぞれに個性が強く出るので、その特徴を把握しておくと、ブロードウェイに足を踏み入れた時に判断材料の一つになると思います。
また、自分が他人からどのように見られているか、自分のキャラクターがどう映っているのかを知ることも重要です。たとえば私の場合は、あえてアジア人らしく見えるような工夫をしています。”自分がこう見られたい” というイメージよりも、アメリカ人が持つ “アジアンビューティー” のイメージに近づけるようにしているのです。たとえば、ストレートの黒髪にしたり、アイラインを長めに引いたり。キャラクターが定っておらず、”その他大勢” として埋もれてしまうのではなく、その人の印象が明確に伝わることがこの世界では大切だと思います。」
芸術的に素晴らしい作品ほど、長く続かないブロードウェイ。”今しか見れない作品” を見て、ブロードウェイの魅力を感じて欲しい

『ファニー・ガール』の一場面(Photo credit Playbill)
──ニューヨークの好きな所はどんな所ですか?
「個性が尊重されるところです。見た目、バックグラウンド、言語、宗教など、すべてが異なる人々が集まる魅力的な街だと思います。
映画『くまのパディントン』の中に “everyone is different, and that means anyone can fit in(ここでは、誰もが違っている。だからこそ、誰もがここに所属できる)” という素敵な言葉があるのですが、これはニューヨークにもぴったり当てはまると感じます。みんなが違うからこそ、”自分はどう感じるのか” ということが受け入れられやすく、その場にいる人たち全員でカルチャーや価値観を作り上げていく空気があります。だからこそ、外から来た人でもすぐに馴染むことができ、会話に加わることができて、疎外感を抱くことが少ないのです。
この感覚は、日本ではなかなか味わえないものだと思います。日本では “外国人” は “外国人” という枠の中で見られることが多く、外からの意見もよそ者として扱われがちなので。
一方でニューヨークでは、皆があまりにも多様だからこそ、”何をしても恥ずかしくない” という安心感があります。例えば、難易度の高いダンスレッスンで、よぼよぼのおばあちゃんが前列で堂々と踊っている光景を見ると、”こういう環境って素敵だな” と思います。誰も他人をジャッジしないんですよね。
また、ニューヨークは夢を抱いて訪れる人が多いため、情熱を持った人が本当に多いです。皆それぞれが何かに挑戦しているので、他人に対して寛容ですし、夢を応援しようという雰囲気があります。人と人が繋がるスピードも速く、温かみのある街だと感じます。」
──ブロードウェイの好きなところはどんなところですか?
「一流のアーティストにとっても、常に挑戦の場であるという点です。どれほど情熱を注いで新作ミュージカルを創り上げても、ロングランになる保証はどこにもありません。一流の才能を持った方々ですら、”こうしてみよう” “ああしてみよう” と日々試行錯誤しながら、より良い作品を目指して努力を重ねているのです。
毎シーズン、10~15本ほどの新作がブロードウェイに登場しますが、その中で1年以上続く作品はわずか10%程度。さらに海を渡って日本で上演される作品となると、1作品あるかどうかというほど限られています。それほど、ブロードウェイは誰にとっても安心できる場ではなく、常にエネルギーと緊張感に満ち溢れている場所なのです。」
──日本にいても素敵なミュージカルを見ることが出来ますが、ニューヨーク・ブロードウェイで観劇する魅力は何だと思いますか?
「”今しか観られない作品” がたくさんあることです。これはブロードウェイの現実なのですが、芸術性の高い作品ほど、長く続かない傾向にあります。というのも、そういった作品はキャッチーではないものばかりで、観光客にとって分かりやすい娯楽にはなりにくいため、チケットの売上に結びつかないのです。
そのため、舞台ファンが高く評価するような質の高い作品ほど、残念ながら早々に幕を閉じてしまうのが現実です。本当に、もどかしい限りです。
また、オリジナルキャストによる上演を観られることも、ブロードウェイの大きな魅力の一つです。作品自体が、オリジナルキャストの役者さんの個性や表現力に合わせて創り上げられていることが多いため、”最も理想的な形” で舞台を体感することができるのです。ですから、新作ミュージカルは、ぜひオリジナルキャストで上演されているうちにご覧いただきたいです。一度ご覧いただければ、その価値をきっと感じていただけると思います。」
──好きなブロードウェイミュージカルは何ですか?
「実は、派手なダンスがメインの作品はあまり好みではなくて。『ファニー・ガール』はもちろんのこと、『ディア・エヴァン・ハンセン』や『キンバリー・アキンボ』、『パレード』など、歌がメインの作品に惹かれる傾向があります。
『ヘイディスタウン』も、音楽がとても神秘的で魅力的だと感じています。ギリシャ神話を題材にしているため、日本の方には少し馴染みが薄いかもしれませんが、長く上演されていますし、芸術的にも非常に優れた作品です。ストーリーの概要を事前に把握しておくと、より深く楽しめると思います。『ハミルトン』も、まさに夢が詰まったような作品ですね。こちらも長く上演が続いていますし、ぜひ出演してみたいと憧れています。さらに、黒人社会を描いた『カラー・パープル』も心に残る作品でした。『レント』は舞台がニューヨークということもあり、日本にいた頃からサウンドトラックを何度も聴いていました。
また、劇団四季で見ていた『アイーダ』もとても思い出深い作品です。当時、劇団四季の看板女優だった濱田めぐみさんに憧れて、劇場に足を運んでいました。そういう意味では、もし濱田めぐみさんとお茶をご一緒できるようになったら、自分としては大きな達成感を感じると思いますね!」
──ブロードウェイでお気に入りの劇場はありますか?
「やはり『ファニー・ガール』が上演されたオーガスト・ウィルソン劇場には特別な思い入れがあります。そして、ニューヨーク・シティセンターも大好きな劇場の一つです。この劇場では、『アンコールズ(The Encores!)』という企画のもと、2週間限定などでさまざまな作品のリバイバル公演が行われています。”2週間だけなら” ということで、大御所の俳優の方々も出演されており、非常に見応えがあります。
また、オフ・ブロードウェイの劇場も好きです。客席との距離が近く、ニューヨークらしい雰囲気や歴史を感じられる劇場も多くあります。」
──良い劇場の条件は何だと思いますか?
「私は、小さな劇場のほうが好みです。舞台に立つ側としても、お客様の存在を近くに感じたいですし、観劇する立場でも、できるだけステージに近い場所で観たいと思っています。本当に、”唾が飛んでくるくらい” の距離感で(笑)。
ステージが遠すぎると、まるで携帯で良い映画を観ているような感覚になってしまい、舞台ならではの臨場感が薄れてしまうのです。だからこそ、ついつい近い席を選んでしまいます。もちろん、どの位置で観るのが好みかどうかは、人それぞれですけれどね。」
──ブロードウェイの改善すべきだなと思うことはありますか?
「明確な答えになっているか分かりませんが、ロングラン作品におけるキャストの入れ替えを、もっと積極的に行っても良いのではないかと感じています。長期間、同じベテランの方々が出演を続けているものも多く見られるので、新たな人材が作品に関わる機会を増やしても良いのでは、と思います。
また、観光客や家族連れに人気のあるロングラン作品も素晴らしいのですが、より新鮮で、挑戦的な新作ミュージカルが長く上演されるような仕組みが整えば嬉しいです。プレビュー公演やオープニングの熱気、尖った作風など、新作ミュージカル特有の魅力をもっと多くの方に体感していただきたいと、ブロードウェイの一ファンとして願っています。」
中々成功できなかった時期の苦労が宝物だし、苦労している人が好き。鈍感に、自由に挑戦してみて欲しい

『ファニー・ガール』の一場面(Photo credit Playbill)
──これから海外で活躍したい日本人や、ブロードウェイを目指す日本人にメッセージをお願いします。
「とにかく、色んなことに挑戦してみてください。どんなことが自分の売りになるかは、自分自身でも分からなかったりするので。私自身、まさかタップダンスが自分の “武器” になるとは思っていませんでした。ただ、どんなことにも真剣に取り組んできた結果として、タップダンスを評価していただけるようになったのだと思っています。
それに、成功にはどうしても “波” があります。ですから、あまり落ち込まずに進んでいくことが大切なのです。仮にどこかのタイミングで目指していた道を辞めることになったとしても、”それが自分の運命だったのかもしれない” と受け止められるような心の余裕、あるいは “鈍感力” も時には必要だと思います。
実を言うと、私は『ファニー・ガール』のオーディションに合格するまで、何一つ “成功” と呼べるような経験がなかったのです。日本でも何の成功もしていませんし、ニューヨークに来てからも、物事がスムーズに進んだ試しはありませんでした。でも、だからこそ良かったのだと思います。中々成功しなかったこそ、”努力を続ける姿勢” が自然と身につきましたし、”簡単に辞めないこと” が当たり前になりました。もしも若いうちに簡単に成功していたら、そのありがたみが分からず、少しつまずいただけで諦めてしまっていたかもしれません。だからこそ、”成功するまでに時間がかかって、本当によかった” と、今は心から思っています。
たしかに、大学卒業のタイミングで仕事が決まらなかったときは、周囲と比べて劣等感を抱いたこともありました。でも、今振り返ってみれば、21歳や22歳の時点で良い仕事に就けるかどうかなんて、長い人生の中では大した問題ではありません。10年プロジェクトくらいの気持ちで、地道に頑張っていけば良いのだと思います。
ニューヨークにいると、本当にいろいろな人の人生を見ることができます。日本にいた頃の価値観が180度覆されるような、奇抜な生き方をしてきた方々が大勢います。だからこそ、常識に縛られず、”鈍感に”、そして “自由に” 挑戦してみてください。」
──日本のブロードウェイファンの方にメッセージをお願いします。
「”見に来てください!” ――――この一言に尽きます。日本では上演されない作品もたくさんありますし、お金と時間が許す限り、ぜひさまざまな作品に触れてみてください。
ニューヨークは遠い世界に感じられるかもしれませんが、意外と、飛行機に乗ってしまえば着きますので(笑)。私のように、元々何者でもなかった日本人がこうして頑張っていられる場所でもあります。世界中から色々な人が集まっているので、肩の力を抜いて足を踏み入れてみれば、より楽しめると思います。
ぜひ、ニューヨーク、ブロードウェイのエネルギーを全身で感じてみてください!」
インタビューに添えて
とにかく腰が低く、朗らかで、まっすぐ。そんな麻純さんの人柄は、きっとこのインタビューからも伝わってきたのではないでしょうか。初めてお会いする前、共通の知人から「まっすーさんとはきっと仲良くなれるよ」と聞かされていたのですが、実際にお話ししてみて、その言葉の意味がよくわかりました。まとう空気はとても自然体で、誰もが心を開きたくなるような温かさ。麻純さんのインスタグラムを見た若者たちから「相談してみたい」とメッセージが寄せられるのも、実に納得です。 とにかく腰が低く、明るく、真っすぐな麻純さんのお人柄、インタビューからも伝わったでしょうか。優れた人徳ゆえの話しかけやすい雰囲気を持つ素敵な方で、麻純さんのインスタグラムを見た若者が相談のメッセージを送ってみようと思えるのも納得です。
カラッとした口調でお話して下さったのは、想像を絶するような “ニューヨークで挑戦すること” の現実でした。何のコネクションもないまま単身ニューヨークへ渡り、ひたすらレッスンに通いながら200件以上のオーディションを受け続けた日々。そして、ようやく掴んだブロードウェイの舞台で、毎公演を全身全霊で挑んだ日々。それらが幕を閉じた後に訪れた、静かで孤独なオーディション期間。華やかな成功の裏にある、言葉では語り尽くせない葛藤と努力を、麻純さんは包み隠すことなく、誠実に語ってくださいました。「厳しいオーディションを勝ち抜いて──」というフレーズを、私たちはつい便利に使ってしまいがちです。でも、その実態はもっとずっと地道で、泥臭くて、誰にも見向きされない時間を自分と戦いながら進み続けること。その重みを、今回のインタビューで改めて痛感しました。
「何者でもなかった」とご自身で語る麻純さんが、最後に「簡単に成功しなくてよかった」と仰っていました。それは、自分の歩んできた道への静かな誇りであり、これから先に続く物語への予感にも感じました。この記事を読んで、「自分も挑戦してみたくなった」「苦労してみたくなった」──そんな気持ちを抱いた方も、きっと少なくないはずです。かくいう私自身が、まさにそのひとりでした。ただ、麻純さんの歩みを形づくった最大の鍵は、目を引くような才能や劇的なチャンスではなく、”続けたこと” だと思うのです。それがどれほど凄いことかは、実際に挑戦をした人にしかわからないのかもしれません。
謙虚に、前向きに、やり続けること。そのシンプルで難しい真理を、ニューヨークの真ん中から伝えてくれた麻純さんに、心から感謝致します。
著者 今田明香
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