August Wilson Theatre オーガスト・ウィルソン劇場の詳細

52番街のブロードウェイ劇場が密集するエリアに立地。ラグジュアリーな柱やシャンデリアが見どころです。

ブロードウェイミュージカルのオーガスト・ウィルソン劇場

オーガスト・ウィルソン劇場の基本情報

オーガスト・ウィルソン劇場(August Wilson Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :245 W 52nd St, New York, NY 10019(地図
52ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間
創設 :1925年
収容人数 : 1,222人
座席表 :※クリックして拡大できます
オーガスト・ウィルソン劇場の座席表

オーガスト・ウィルソン劇場の行き方・アクセス

オーガスト・ウィルソン劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

C E 路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど

1 路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど

B D E 路線の「7 Ave」駅から徒歩5分ほど

オーガスト・ウィルソン劇場の地図

以下は、オーガスト・ウィルソン劇場(August Wilson Theatre)の地図です。

オーガスト・ウィルソン劇場の歴史

旧名は「ギルド劇場(Guild Theatre)」

オーガスト・ウィルソン劇場(August Wilson Theatre)は、1925年に、ハワード・クレーン(C Howard Crane:北アメリカを中心に250個もの建築に携わった建築家)によるデザインと、ケネス・フランゼイム(Kenneth Franzheim:クレーンとともに建築をしており、主に商業ビルや空港のデザインに携わった建築家)による建築により、「ギルド劇場」という名前でオープンしました。

旧劇場名の由来となったギルドとは、「シアターギルド(Theatre Guild)」から由来しており、1919年にフィリップ・モイラー(Philip Moeller)らを中心に結成された米国の演劇団体を意味します。この団体は、娯楽を旨とする商業演劇を嫌い、芸術性の高い作品のみを予約会員制で上演した事で、結果的に1920年代アメリカ演劇の発展に貢献したと言われています。

1919年までシアターギルドは演劇制作した作品をブロードウェイで公演する際は、ギャリック劇場(Garrick Theatre)を借りて公演していましたが、彼らの役者や15,000人以上の会員のために自分たちの快適でラグジュアリーな劇場を作ると決めました。

世界恐慌による財政難

1930年頃、世界大恐慌の煽りはブロードウェイのショービジネス産業全体にも襲いかかり、劇場への客足が遠のくことで、多くの劇場が映画館やバーレスク劇場に姿を変え、安価な再上映映画やアダルトショーなどを提供することを余儀なくされました。

ギルド劇場も、オープン当初こそ『シーザーとクレオパトラ』のリバイバル作品を公演し人気を博しましたが、この世界恐慌を煽りを避ける事ができず、同じ道を辿る事となりました。

1938年の終わり頃、シアターギルドはいよいよ財政難に陥り、ギルド劇場を他の劇団やプロダクションに貸し出すことになります。1943年からWOR-Mutualラジオのスタジオとしてリースされ、1950年にはアメリカ国民演劇アカデミー(The American National Theater and Academy)が購入。頭文字を取り「ANTA Theatre」と改名されます。

更に1981年には、セント・ジェームス劇場やアル・ハーシュフェルド劇場などを所有及び運営している大手劇場運営会社のユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)に買収され、その時の同社のオーナーであり、取締役であったバージニア・マックナイト・ビンガーの名前から「バージニア劇場(Virginia Theatre)」と名前が付けられました。

オーガスト・ウィルソン劇場に改名

2005年夏、ユージャムシン劇団(Jujamcyn Theaters)は劇場の名前を、アメリカ人の脚本家でありピューリッツァー賞受賞作品の『キング・ヘドリー2世(King Hedley II)』を生み出したことで有名な「オーガスト・ウィルソン(August Wilson)」に変更すると発表し、同年の10月16日(オーガスト・ウィルソン本人が亡くなってから僅か14日後)に彼の功績を称えるとともに敬意を表しその名前を付け再オープンし、劇場史上のロングランとなる、4,088公演を行った『ジャージー・ボーイズ』の公演が始まりました。

オーガスト・ウィルソン氏について

アメリカ演劇界を代表する劇作家

1945年4月27日生まれ。ペンシルバニア州ピッツバーグ出身のアフリカ系アメリカ人。ピューリッツァー賞、トニー賞の受賞経験がある米演劇界を代表する劇作家のひとりです。

元々本名はフレデリック・オーガスト・キッテル・ジュニア(Frederick August Kittel Jr.)で、米ピッツバーグで貧困層の黒人が密集するヒル地区で暮らし、6人兄弟の4番目の子供として過ごしました。

父は家に帰ってこなかったので母が1人でオーガストや彼の兄弟を育てましたが、やがて両親は離婚しその後再婚。その再婚相手が、1983年にオーガスト・ウィルソンが作した戯曲『Fence』のモデルとなっています。

ちなみに、彼の作品『Fence』は2016年に映画化されました。本作以前にも映画化の計画は何回か持ち上がっていましたが、原作者のオーガスト・ウィルソンが黒人監督の起用を条件にしていたため、映画化の計画は頓挫し続けていました。

そこで、以前ミュージカル・フェンスに出演したデンゼル・ワシントンが監督と主演を務める条件で、映画化計画が実現し、第89回アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネートされ、女優のヴィオラ・デイヴィスは助演女優賞を受賞しました。
元々脚本家になりたかった彼は、母の弁護士になって欲しいという願望を受け入れられず、家を追い出され、止む無くアメリカ軍に入隊しましたが、結局1年で辞め、その後の青年時代は皿洗いや庭師、シェフをしたりと仕事を点々としていました。

1965年に実の父が亡くなった際、本名であったフレデリック・オーガスト・キッテル・ジュニアから、自分のミドルネームの「オーガスト(August)」と、彼の母(Daisy Wilson)の旧姓「ウィルソン(Wilson)」から名前を取って、「オーガスト・ウィルソン(August Wilson)」と改名し、今日知られるオーガスト・ウィルソンとしての人生が始まりました。

同時期にタイプライターを購入し、23歳になる頃には友人で詩人劇作家のロブ・ペニー(Rob Penny)と共に「ブラック・ホライズン劇団(Black Horizon Theater)」を設立しました。

アメリカ演劇界を代表する劇作家

60年代中に演劇界に転身し、1979年には初めての劇『Jitney』を生み出し、84年に『Ma Rainey’s Black Bottom』でブロードウェイ進出を果たし、続く『フェンス』は1987年にピュリッツァー賞、トニー賞、ニューヨーク批評家協会賞を総なめにしました。

余り恵まれた環境で育ったわけでもなく、秀才タイプでもなく、大学で一生懸命勉強したタイプではないけれど、彼が生涯に輝いた賞は、あのピューリッツア賞やトニー賞をはじめ30以上にも上り、晩年には地元のピッツバーグ大学から名誉学位である名誉人文科学博士まで授与されています。

2005年6月に余命は3~5ヶ月の肺がんと診断され、同年の10月に60年間の生涯を閉じました。 ブロードウェイの劇場で、アフリカ系アメリカ人の名前が付けられた最初の劇場として知られています。

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