Radio City Music Hall ラジオシティ・ミュージックホールの詳細

ロックフェラーセンターの一角に立地する、ニューヨークを代表する劇場。トニー賞の授賞式やライブ・コンサートも催される。

ブロードウェイミュージカルのラジオシティ・ミュージックホール

ラジオシティ・ミュージックホールの基本情報

ラジオシティ・ミュージックホール(Radio City Music Hall)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :1260 6th Ave, New York, NY 10020(地図
6番街沿い、50ストリートと51ストリートの間
創設 :1932年12月27日
収容人数 :6,015人
座席表 :※クリックして拡大できます
ラジオシティ・ミュージックホールの座席表

ラジオシティ・ミュージックホールの行き方・アクセス

ラジオシティ・ミュージックホールへの行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

B D F M 路線の「Rockfeller Center」駅から徒歩5分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

ラジオシティ・ミュージックホールの地図

以下は、ラジオシティ・ミュージックホール(Radio City Music Hall)の地図です。

ラジオシティ・ミュージックホールの歴史

企画当初はメトロポリタン・オペラハウスを建てようとしていた

ラジオシティ・ミュージックホール(Radio City Music Hall)は、1932年、大富豪のジョン・ロックフェラーによって創設されました。

1911年に連邦最高裁から解体命令が出されるまで、世界最大の石油会社として業界を独占していたスタンダード・オイル社(アメリカ国内の製造・販売を9割を独占)は有名ですが、ジョン・ロックフェラー・Jrはその一人息子。彼は、社長を努めている間に世界恐慌に面しながら、大胆な建設事業への投資をした事で有名です。

元々買収による企業拡大を得意とするロックフェラーの手法は、世界恐慌の中にありながらもニューヨークにおける最大の不動産所有者の地位に追い上げる事になります。

そんなロックフェラーが1931年よりロックフェラーセンターの建設を開始しますが、当初は新しいメトロポリタン・オペラハウスを建てる計画でした。しかし、さすがに1932年の世界恐慌によりビジネスの見通しが立たず、計画は一旦白紙となってしまいます。それでもロックフェラーは諦めずに「こんな時代だからこそ、人々を引きつけるような商業娯楽施設を作って、アートと希望の象徴で魅力する環境を提供したい」という強い思いで建設着工に踏み切りました。

その手始めとして、まずロックフェラーはラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)と契約を交わします。同社は、ラジオ受信機の製造を中心とする大手電機会社でしたが、アメリカ3大ネットワークであるNBCラジオやレコード会社の運営など、メディア事業部も目立っていました。そんな多国籍企業とタッグを組み合うことにより、ロックフェラーセンターをマスメディアの複合建築にしようと方針を立てました。

その後、ロックフェラーは相談役として当時「劇場界の天才」と呼ばれていたロキシー・ロサフェル(Samuel Roxy Rothafel)を呼びかけました。無声映画を世に展開し、劇場や音楽のプロデュース、自身のラジオ放送局まで運営する彼の多才な力を借りて、「誰でも高品質なエンターテイメントをお手頃価格で楽しむことができるような劇場を作りたい」という目標を掲げていました。

映画館として営業していた時代

そんな想いを乗せたラジオシティは1932年8月に完成し、12月27日に一般公開されましたが、初期に作り上げられたショーは夜の8時から夜中の2時までと続く長くて退屈なもので、成功とは程遠い結果となりました。

この状況を改善すべく翌年からは家族向けの映画上映を始めると共に、ロキシーが考案した壮大なステージショーを組み込んだものを1日4公演するなど新たな試みを開始、結果的に1933年から1979年まで46年間の間に700タイトル以上の映画が上映され、「キングコング」「ティファニーで朝食を」「メリーポピンズ」「ライオンキング」などの名作を世に送り出しました。

現在でも期間限定で映画を上映する事もありつつ、主に有名歌手のコンサートやステージショーなどで利用されています。

経営不振と閉業の危機

1970年代の映画配給の変化により、一般向けの映画しか上映しなかったラジオシティでは人々の期待に次第に応えることができなくなり、劇場に足を運ぶ人が少なくなっていきました。

その結果、ラジオシティは350万ドル(当時のレートで約8億円)の損失が予想され、テニスコート、ショッピングモール、またはアメリカ証券取引所に変換する移行計画を打ち出すと共に、1978年1月5日に「3ヶ月後に閉鎖する」という発表をしました。2日後の1月7日にはこの計画を阻止しようとShowpeople’s Committee to Save Radio City Music Hallが発足しました。

ラジオシティを守ろうと動いた人たち

Showpeople’s Committee to Save Radio City Music Hallとは、劇場の演者、ダンサー、ミュージシャン、衣装係から案内係まで、ラジオシティ・ミュージックホールの存続を願う人々によって構成された反対運動団体です。

その中心人物として活動したのがラジオシティ専属のバレエ団のダンスキャプテンのローズマリー・ノベリーノ(Rosemary Novellino)でした。彼女は団体メンバーから推薦され代表となりましたが、当時のニューヨーク州知事メアリー・アン・クルサックや全米の報道機関の協力を得て、劇場閉鎖反対の声を上げるために、積極的にメデイアに露出していきました。

主要なTV番組やラジオに出演しては「ラジオシティを存続すべき」と主張し続け、アメリカの反対側であるカリフォルニアまでテレビ番組に出演するため移動したりと精力的に活動しました。

ある時は、反抗する意味を込めて鎧を着用した姿で劇場前に集まり、劇場に入ろうと列を作っている聴衆に対して署名活動を行いました。見た目も目立つこの行為は、新聞やテレビに大きく取り上げられ、全米に強烈なインパクトを与えました。

2ヶ月に渡る反対運動により、世界中からは請願書に署名が15万件以上も寄せられ、1978年3月28日にニューヨーク市のランドマークに認定されることによって、劇場の閉鎖を回避することができました。

ニューヨーク市のランドマーク保存委員会は、ラジオシティの内部を建物がシアターのままであることを保証し、その後の運営費用については、ラジオシティの上層部に20階建ての複合型ビルを設ける事によってオフィスビルとして貸出、その賃貸料をラジオシティの資金に回すようにしました。 そして1978年5月12日には正式にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されました。

反対運動から40年近く経った現在のラジオシティ

閉鎖の危機を乗り越えてきたラジオシティミュージックホールはこれまでに世界から3億人以上が訪れ、今日では世界最大の屋内劇場と言われています。

冬の風物詩のクリスマス・スペクタキュラーはもちろんのこと、有名アーティストによるコンサート、NFLのドラフト会議、アメリカズ・ガット・タレント(America’s Got Talent:NBC局で放送されている公開オーディション型リアリティ番組)の収録や、トニー賞の授賞式(毎年6月に開催されるブロードウェイの頂点を決める表彰式)なども行われています。

ラジオシティ・ミュージックホールの建築スタイル

ドナルド・デスキーが手掛けた豪華な装飾

ラジオシティ・ミュージックホールの内装デザインを手がけたのは米国ミネソタ州生まれのドナルド・デスキーです。彼の幾何学的なアールデコ調の装飾はアルミニウム、金箔、大理石、ガラス、コルクなど様々な素材を使用し、劇場内の壁紙やカーペットや家具に贅沢に施されました。

当時まだ無名だったデスキーは、コンペに勝ち進んでやっとの思いで手に入れた建築デザインの仕事であった事もあり、「その時代で一番優雅な劇場にする」と意気込んでおり、家具以外にも劇場のインテリア空間を完成させるために手すり、看板、装飾の細部のデザインも注意し調整しました。そんな彼のエレガントで洗練されたアール・デコ調のデザインは、劇場に訪れる人々を魅了し、瞬く間にデスキーの名は世間に知れ渡っていきました。

「夕日」をモチーフとしたステージ

ピーターBクラークにより設計された大舞台は幅66.5フィート、長さ144フィート(20.3 x 43.9メートル)ですが、黄金のアーチ状の天井は夕日をイメージし、真っ赤なシートは海に反射した夕日を表しています。

建築家チームは舞台の企画をする前に、どのような舞台にするのかアイディアを探しにヨーロッパへ向かいましたが、特に何も得ることは出来ませんでした。しかし、帰りの船で見た夕日がとても綺麗で印象的だったため、その夕日をヒントにこの舞台は構想されたと言われています。
舞台の前には観客に向かい合うように複雑なコーブ照明(天井の隅や壁にくぼみを設けて内部から光を拡散させる照明手法)が組み込まれていて、滲み出るような柔からかな照明を演出しています。また、劇場内の各照明は自動的に色が変える事ができ、場内の明るさ検知によって照明の明るさを変える事もできたりと、当時では最新照明システムを備えた劇場として知られていました。

ラジオシティ・ミュージックホールの周辺情報

【冬季限定】ロックフェラーセンターのクリスマスツリー

1933年以来、ロックフェラーセンターの中心地であるロックフェラープラザ前に大きなクリスマスツリーを飾る伝統が続いており、年に1回の催し物として、冬になると世界中から多くの観光客が足を運んできています。2017年のツリーはペンシルバニア州から240マイル(約386キロ)の距離を大型トラックによって運ばれてやってきました。
ツリーは毎年ロックフェラーセンターのツリー選定担当者とそのチームによって、木の豪華さ、形、または重いオーナメントをつけてもしっかり装飾できるか、を基準に選ばれています。(ロックフェラーセンターのウェブサイトにて応募することも可能)毎回異なる場所から選ばれていて、その高さも様々ですが、選ばれたツリーはクレーンによって設置され、約5万個のLEDライトで飾り付けられます。

【冬季限定】ロックフェラーセンター前のスケートリンク

冬季限定で、クリスマスツリーの目の前にはスケートリンク場(The Rink at Rockefeller)が設営されます。観光客から地元のニューヨーカーまで多くの人々で混み合っている人気スポットとなります。

このスケート場では、過去多くの著名人にも愛され、ジョン・F・ケネディ夫人のジャクリーン・ケネディや女優のルシール・ボール、小説家のトルーマン・カポーティもその一人でした。また、数々のアイススケート選手も登場しており、メダル獲得者のミシェル・クワンやクリスティ・ヤマグチもリンクで演技を披露しています。また、ホーム・アローン2の映画のロケ地としても使われ、ニューヨークでは馴染みのある場所です。

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