Shubert Theatre シューベルト劇場の詳細

ブロードウェイの劇場運営会社の最大手、シューベルト・オーガニゼーションの本社オフィスがある劇場。

ブロードウェイミュージカルのシューベルト劇場

シューベルト劇場の基本情報

シューベルト劇場(Shubert Theatre)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :225 W 44th St, New York, NY 10036(地図
44ストリート沿い、7番街と8番街の間
創設 :1913年10月2日
収容人数 :1,468人
座席表 :※クリックして拡大できます
シューベルト劇場の座席表

シューベルト劇場の行き方・アクセス

シューベルト劇場への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

1 2 3 7 A C E N Q R W 路線「42st – Times Square / Port Authority」駅から徒歩8分ほど

「42st – Times Square / Port Authority」駅は、構内が広い駅ですので、時間に余裕を持ってお出かけください。

シューベルト劇場の地図

以下は、シューベルト劇場(Shubert Theatre)の地図です。

シューベルト劇場の歴史

ブース劇場と隣り合わせで創設

シューベルト劇場(Shubert Theatre)は、1913年、シューベルト劇場をブース劇場(Booth Theatre)と隣り合わせになるよう併設されました。当時劇場ビジネスに本腰を入れていた劇場運営者のシューベルト兄弟は、20世紀初頭に活躍した劇団プロデューサーで演出家のウィンスロップ・エイムズ(Winthrop Ames)と共同でこの劇場を創設しました。ブース劇場と併設したのは、シューベルト兄弟が所有していた土地の有効利用と、建設期間の短縮、建設費用の大幅な削減が目的でした。

シューベルト劇場とブース劇場は併設して隣同士に建てられましたが、ブース劇場が①簡素、②2階建て、③806人収容の演劇作品やワンマンショーの公演向けの劇場として造られたのに対し、シューベルト劇場は①豪華、②3階建て、③1,468人収容可能で大規模なミュージカル作品を公演する為の劇場として造られました。また、シューベルト劇場はシューベルト兄弟の建てた劇場の中で2番目に古い劇場として知られています。

列車事故で亡くなったサム・S・シューベルトの名を継承

ブロードウェイ地区の正に中心地に位置するシューベルト劇場は、創業時「サム・S・シューベルト劇場(Sam S. Shubert)」と名付けられました。劇場名は、1905年に26歳の若さで不運にも列車事故で亡くなったシューベルト3兄弟の次男サム・シューベルト(Sam S. Shubert)から由来します。

サムが亡くなった後、シューベルト兄弟は劇場ビジネスを本格化させてき、ブロードウェイ最大の劇場運営会社を作ることとなりますが、元々彼らに劇場ビジネスの話を最初に持ち掛け、始めさせるきっかけとなったのは次男のサムでした。

トニー賞受賞式の会場として知名度を上げ、シューベルト・オーガニゼーションの本社となる

1997年頃までのシューベルト劇場は、ミュージカルと演劇界において最も権威のあるトニー賞の授賞式が定期的に行われていた会場として知られていました。この劇場でトニー賞授賞式が行われていた理由は、シューベルトのこれまでのブロードウェイへの多大なる貢献と功績を考えると自然な流れとも言えます。

シューベルト・オーガニゼーションが所有するブロードウェイの劇場は、オンブロードウェイ、オフブロードウェイの劇場を併せて合計19個となりますが、一時的でも所有してきた劇場まで含めれば膨大な劇場数です。そんな数ある劇場の中で、同社の本社オフィスを構えているのがこのシューベルト劇場の最上階で、まさに、シューベルト劇場は大手劇場運営会社の心臓部であると言っても過言ではありません。

1842年から始まったと言われるブロードウェイの歴史の中で、1900年に創業して以来今日も続くシューベルトのブロードウェイ業界への影響力はすさまじく大きなものとなっています。これは、20世紀の大きなブロードウェイの急成長が背景にありますが、詳細を「ブロードウェイの歴史ページ」に記載しておりますので是非お読みになってください。

治安が最悪だったブロードウェイ周辺と「コーラスライン」

1970年代に入るとタイムズスクエア周辺には売春婦や麻薬密売人があふれ、治安が悪化したこのエリアを人々が避けるようになり、ブロードウェイ劇場からも客足が遠のく結果となりました。

そんな中、演出家のマイケル・ベネット(Michael Bennett)は、これからのショービジネスにはダンス作品が必要であり、ダンサーのための作品を作りたいという信念のもと、原案・振付・演出の全てを自分自身で手掛けたミュージカル作品「コーラスライン(A Chorus Line)」を作り上げました。

1975年7月25日に「コーラスライン」の公演が始まり、劇場のチケット販売窓口でチケット売上が空前の大ヒット。1990年4月28日の千秋楽まで15年間で計6,137公演を行いました。これは、当時としては最長のロングラン公演記録を樹立しました。また、1976年のトニー賞では最優秀ミュージカル賞をはじめ9部門を獲得、ピューリッツァー賞戯曲部門、第1回ローレンス・オリヴィエ賞新作ミュージカル部門(Laurence Olivier Award for Best New Musical)を受賞しました。
ちなみに、コーラスラインの制作にはそうそうたる面々が参加しており、1976年のドラマ・デスク賞ミュージカル部門脚本賞を受賞したジェームズ・カークウッド(James Kirkwood Jr)とニコラス・ダンテ(Nicholas Dante)が脚本を、EGOT賞、ゴールデングローブ賞(Golden Globe Awards)、ピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)の全て受賞したマーヴィン・ハムリッシュ(Marvin Hamlisch)が作曲を、1976年のトニー賞オリジナル楽曲賞を受賞したエドワード・クレバン(Edward Kleban)が作詞を手掛けています。

大ヒットした「コーラスライン」は、当時ブロードウェイへ足を運ぶのを渋っていた人々を再び劇場へ呼び戻す立役者となりました。さらに、まだ治安が悪かったタイムズスクエア周辺に対して治安向上に注力をした当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニ氏の取組みへと繋がるきっかけとなり、現在の安全なブロードウェイに繋がる第一歩を踏み出す足掛かりとなりました。

シューベルト劇場の周辺情報

シューベルト・アリーと呼ばれる劇場横の小道

シューベルト劇場とブース劇場の横には、シューベルト・アリー(Shubert Alley)と呼ばれる公共スペースが設けられており、現在でも44丁目と45丁目の間を行き来できる全長91mの通りとして利用されています。元々こちらのスペースは、当時の消防法令に従って造られた非常口スペースで、当時から車に乗っていたシューベルト兄弟は車をこのスペースに駐車していました。

シューベルト・アリーとは言われていたものの、シューベルト兄弟もその土地を不動産会社のAstor estateから何十年も借りており、自身の所有地ではありませんでしたが、その後もNew Jersey bus line(バス会社)の停留所や、役者が公演の合間に息抜きするためのスペースとしても利用されてきました。

他にもシューベルトアリーでは、同地で撮影されたミュージカル作品がテレビ放映されたり、記念式典が開催されたり、「世界一大きなココナッツ・オーケストラ(World’s Largest Coconut Orchestra)」を開催してギネス世界記録に認定されたり、2010年に起きたタイムズスクエアでのテロ未遂事件で、その事件の犯人がシューベルト・アリーを歩き去る姿を防犯カメラが捉えるなど、度々話題に上がりました。

観光客の憩いの場として機能する今日のシューベルト・アリー

今日では、昔と変わらず非常口としての役割も担いながら、公演の途中休憩では観客がごった返す憩いの場として利用されています。また、トニー賞授賞式の行われる週には「Stars in the Alley」と呼ばれる、年に一度無料コンサートが開催され、ブロードウェイの著名人をゲストに招待して毎年盛り上がりを見せることも恒例となっています。

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