Studio 54 スタジオ54の詳細

1970年のディスコブームの中心地といえばスタジオ54。あらゆる有名人が通い、毎晩輝かしい夜遊びが行われていた歴史を感じて。

ブロードウェイミュージカルのスタジオ54

スタジオ54の基本情報

スタジオ フィフティーフォー(Studio 54)の最寄駅、座席表などの基本情報です。

住所 :254 W 54th St, New York, NY 10019(地図
54ストリート沿い、ブロードウェイと8番街の間
創設 :1927年
収容人数 :922人
座席表 :※クリックして拡大できます
スタジオ54の座席表

スタジオ54の行き方・アクセス

スタジオ54への行き方は、ニューヨーク公共地下鉄(MTA)を利用するのが一般的です。
公演時間が近づくと劇場周辺は大変混み合いますので、地下鉄で行かれる方も、タクシーで行かれる方も時間に余裕を持ってお出かけください。

地下鉄の最寄駅 :

B D E 路線の「7 Ave」駅から徒歩5分ほど

C E 路線の「50 St」駅から徒歩5分ほど

スタジオ54の地図

以下は、ストゥディオ54(Studio 54)の地図です。

スタジオ54の歴史

ギャロ・オペラハウスというオペラ劇場として創設

スタジオ54(Studio 54)は、1927年にオペラ興行主であったフォーチュン・ギャロ(Fortune Thomas Gallo)が建設、オペラ専門の劇場として「ギャロ・オペラハウス(the Gallo Opera House)」という名前で創設しました。「Juno and the Paycock」や「Ballet Moderne」などを含むいくつかのオペラ作品を公演するも、いずれも数回の公演で幕を閉じ、劇場が人で賑わうことはありませんでした。

1929年頃から世界恐慌の煽りがブロードウェイのショービジネス産業を襲ったことで数多くの劇場への客足が遠のき、フォーチュン・ギャロは劇場の借り手を見つけることが出来ず、劇場建設に費やした資金のローンも支払いが滞り、最終的には劇場が差し押さえとなってしまいました。「フォーチュン=幸運」という意味ですが、彼は名前とは違い幸運ではなかった。と皮肉られることもあったと言います。

1930年、新しいオーナーが現れ、「ニューヨーカー劇場(the New Yorker Theatre)」となりましたが劇場運営は上手くいかずに10年が過ぎ、オペラ作品「Medicine Show」の公演が僅か3週間で閉幕したのを最後に、1940年に劇場が利用されなくなり、その後の3年間は手付かずの劇場となりました。
1943年にテレビ局CBSがニューヨーカー劇場を購入し、同社の52番目の所有劇場として劇場名を「スタジオ52(Studio 52)」と改名し、ラジオ放送局やテレビ収録を行うスタジオとして使用を開始、1970年頃まで順調に運営しました。

1950年から67年まで続いたゲストを当てるクイズ形式の番組「What’s My Line?」、多額の賞金を懸けたクイズ番組「The $64,000 Question」、1950年から65年まで続いたコメディ番組の「The Jack Benny Show」、1955年から1984年まで放送された子供向け番組の「Captain Kangaroo」など大人気テレビ番組として当時人気を博しました。

1970年代、伝説のディスコに

1974年になると、それまで劇場の所有者であったCBSは、オフィス移転を機にStudio 52を売りに出します。今ではブティックホテルのプロデュース業でその名を知らない人はいないと言われるほどですが、当時まだレストランとナイトクラブ経営の駆け出しだったイアン・シュレーガー(Ian Schrager)とスティーブ・ルベル(Steve Rubell)が、当時世界的に盛り上がりを見せていたディスコブームの波に乗るべくナイトクラブ運営ビジネスを考え、スタジオ52を購入しました。

劇場からナイトクラブへの改装を始めてから僅か6週間後の1977年4月16日に創設、ニューヨークに著名人という著名人が通う伝説的なディスコ「スタジオ54(Studio 54)」が誕生し、早くも俳優やアーティスト、歌手、作家など時代の寵児たちが集まる夜の社交場として一世を風靡しました。

ちなみに、劇場名は、Studio 52の「Studio」と、住所である54丁目の「54」とを合わせて「Studio 54」と名付けられました。
スタジオ54に通った著名人の名前を挙げたらきりがありませんが、音楽界ではマイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、エルトン・ジョン、ミック・ジャガー、スティーブン・タイラーらが通ったと知られ、スティービー・ワンダーやホイットニー・ヒューストンに限ってはここでライブコンサートも行っています。

ファッション界ではマーク・ジェイコブス、トム・フォード、カルバン・クライン、イヴ・サンローラン、俳優兼政治家のアーノルド・シュワルツネッガー、画家のサルヴァドール・ダリ、そしてアメリカ第45代大統領で不動産王のドナルド・トランプまでもが一時は連日通い詰めたと言います。

著名人が通うディスコということもあり、スタジオ54の入場セキュリティチェックは特に厳しい事で有名で、ヴェルヴェットのロープの前に並ぶ客に対して、クラブオーナーが直々に行う「ヴェルヴェットコード(Velvet Cord)」と呼ばれる厳重なチェックを受けなければなりませんでした。

スタジオ54の脱税が判明し閉鎖を余儀なくされる

ディスコクラブとしてのスタジオ54は、最初の1年間で700万ドル(約8億円)の売上を上げるなど、ナイトクラブとしては前代未聞の売上でした。ニューヨークのある新聞社が「これほどのお金を稼げるのはマフィアだけ」と発言したことで、それがIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の目に留まり、スタジオ54の経営状況に厳しい調査が入りました。

その結果、$250万ドル(約3億円)の脱税の罪が明らかになり、事実上閉店を余儀なくされました。ディスコクラブとしてのStudio 54は僅か3年間という短い期間で閉店、これが「空想と魔法の世界」と言われる所以でもあります。

1980年に俳優のマーク・フレイスチマン(Mark Fleischman)がスタジオ54を買い、再び花開くのを夢見てナイトクラブを創設し、音楽の公演を多数行いましたが、1986年にはCAT Entertainment Corpへ売却し、ヘビーメタルやパンクロックを公演するライブハウス「The Ritz」となりました。
1993年、テキサス州ダラスに本拠地を構えるナイトクラブの運営会社のCabaret Royale Corporationが、CAT Entertainment Corpを吸収合併した後、資金不足で半分野放しの状態にあったスタジオ54の改装工事を実施すると共に、これまで商標登録されていたなった「Studio 54」を商標登録して運営を再開し、1995年まで「Cabaret Royale at Studio 54」として運営しました。

不動産投資会社のAllied Partnersが1995年にスタジオ54とその建物を当時の200万ドル(約2.2億円)で買収し、その大部分を修復し、ライブコンサートと共にナイトクラブとして再度開業したものの、翌年の1996年にすぐ閉業してしまいました。

トニー賞受賞作品:キャバレーがスタジオ54を復活させる

1998年、ヘンリー・ミラー劇場(現スティーヴン・ソンドハイム劇場)では第21回トニー賞にて複数部門を受賞した大人気演目「キャバレー(Cabaret)」のリバイバル作品公演が行われていましたが、劇場の真横で起こったクレーン事故がきっかけで公演継続が不可となり、別の劇場での公演を余儀なくされました。

そこでキャバレー作品を所有しているラウンドアバウト・シアター・カンパニー(Roundabout Theatre Company)が目を付けたのが、倒産後に荒廃していて手付かずの状態であったスタジオ54でした。
未使用のまま放置されていたスタジオ54を、キャバレーが使用すると決まった際、当時の関係者らには無茶だと騒がれましたが、劇場をヘンリー・ミラー劇場のステージをそっくりそのまま忠実に再現して改築したことで、人気を衰えさせることなく大ヒット公演を継続し、当時で歴代3番目となるロングランの2,377公演を行い、第52回トニー賞でも複数部門を受賞しました。

2003年、ラウンドアバウト・シアター・カンパニーはキャバレー公演によって上げた利益により、当時のオーナーであったAllied Partnersからスタジオ54とその建物を全てを$2250万ドル(約25億円)で購入し、現在でもラウンドアバウト・シアター・カンパニーが所有する劇場の一つとして運営されています。

宝塚劇団 月組によるミュージカル STUDIO 54

「STUDIO 54(スタジオ フィフティフォー)」は、2010年に日本の宝塚歌劇団の月組によって公演されたミュージカルとしても知られています。

ニューヨークの大人気ディスコ「STUDIO 54」を舞台に、スキャンダルを追いかけ回すパパラッチ(主人公)が、ターゲットとしていた女優とある事件をきっかけに心を通わせていくという、オリジナルストーリーになっており、セレブのスクープ目当てに探り回るジャーナリストと追いかけられる側の芸能事務所の争いなど、このディスコならではのリアルな要素を盛り込んだ事で一時話題となりました。

当時の時代背景や実在する人物(支配人のルベルやマドンナなどのセレブ達)などが演出に盛り込まれ、さらに舞台を実物に近づけるため、スタジオ54と同じ「54」のロゴや実物を模写したその特徴的な入口ドアを舞台のセットとして使用するなどして、写実性の高い作品となりました。

スタジオ54の建築スタイル

1927年の創設当時の姿を残す内装

スタジオ54の正面入口を入ると、横一面に敷き詰められた鏡、深緑色の大理石、上には数個のシャンデリアが装飾されれており、客席へと続く非常に長い大広間が観客を魅了します。これらは、ブロードウェイ劇場(Broadway Theatre)やタイムズスクエア劇場(Times Square Theatre)を手掛けた、イタリアから移民したユージーン・デ・ローザ(Eugene De Rosa)によってデザイン設計されました。

スタジオ54は、創設後一度も取り壊しをされず、これまで一貫して同じ建物として使用され続けており、1927年当時のままの大広間や客席の内装を見ることが出来ます。ギャロ・オペラハウスに始まり、CBSのスタジオ、1977年にはディスコクラブになるなど様々な用途で使われてきたスタジオ54の歴史を感じてみて下さい。

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