チャニン兄弟(Chanin Brothers)
ブロードウェイの歴史を語るには欠かせない兄弟

アーウィン・チャニンとヘンリー・チャニンは、ニューヨークの建設・不動産開発で頭角を現し、ブロードウェイの劇場街に複数の劇場を建設した実業家・建築ディベロッパーです。チャニン建設会社(The Chanin Construction Company)を設立し、ブロードウェイでは
6つの劇場(現:リチャード・ロジャース、ジョン・ゴールデン、バーナード・B・ジェイコブス〈旧ロイヤル〉、マジェスティック、レナ・ホーン〈旧ブルックス・アトキンソン/マンフィールド〉、サミュエル・J・フリードマン〈旧ビルトモア〉)の開発・建設に関わりました。
また、ニューヨークのランドマークである
チャニン・ビル、タイムズスクエアのホテル
パラマウント・ホテルや
ROW NYC(旧ミルフォード・プラザ/一時期ホテル・リンカーンの名でも営業)、ビーコン・ホテル、ワールド・アパレル・センターなどのプロジェクトにも携わり、都市景観の形成に大きな役割を果たしました。
チャニン兄弟が手掛けた劇場リスト
ブロードウェイの建築会社、チャニン兄弟のチャニン建築会社(the Chanin Construction Company)が手掛けたニューヨークの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
ハーツ&タラント(Herts & Tallant)
共同経営の建築事務所

ハーツ&タラント(Herts & Tallant)は、ヘンリー・ハーツ(Henry Beaumont Herts)とヒュー・タラント(Hugh Tallant)が1900年に創設した建設事務所。今なお残るブロードウェイの劇場建築の先駆者的存在の会社です。
ニューヨーク出身のハーツは、コロンビア大学に入学するも卒業はせず、建築の勉強をするため海外を渡り歩き、フランスのパリ国立高等美術学校、イタリアのローマ大学、ドイツのハイデルベルク大学などで建築デザインを学びました。一方、相方のタラントは1869年にボストンで生まれ、ハーバード大学を卒業後、ハーツ同様フランスのパリ国立高等美術学校で建築について学んでいます。
ハーツは技師(エンジニア)とビジネス商談面で活躍し、タラントは建築デザイン担当として会社をスタートさせ、フルトン劇場(現在ヘレンヘイズ劇場)、ガエティー劇場(the Gaiety)、リバティー劇場(the Liberty)などの建築を手掛けていきましたが、後に取り壊されたために現存はしていません。現存するHerts & Tallantが手掛けた劇場には、ブロードウェイに現存する劇場最古の1つであるニューアムステルダム劇場や、ライシーアム劇場などがあります。その中でハーバート・クラップが見習いとして事務所で働くようになりました。
1912年にコンビは解消されましたが、その後も
ハーツ単独でシューベルト兄弟のために
ブース劇場(1913)と
シューベルト劇場(1913)を設計しています(ロングエーカー劇場はハーツの設計で、計画の一部は事務所解消前後にまたがります)。1915年、クラップは独立するため事務所を去りました。
その後のタラントの活動は劇場デザインではなく、ブロンクス地区にあるライス・メモリアル・スタジアム(Rice Memorial Stadium)やベッツィー・ヘッド・パーク(Betsy Head Memorial)など、ニューヨーク市が運営する公園の建築デザインを手掛けました。1928年、健康状態の悪化により、建築かとしてのキャリアを引退をし、5年後の1933年、ブロンクス地区にあるモンテフィオーレ病院で亡くなりましたが、現在でも、彼の書いた建築デザインの製図等は、建築関連の書物の数では世界一の大きさを誇る、コロンビア大学にあるエイブリー・アーチャイトクチュラル・アンド・ファイン・アーツ図書館(Avery Architectural and Fine Arts Library)に保管されています。
ハーツ&タラントが手掛けた劇場リスト
ブロードウェイの建築事務所、ハーツ&タラントが手掛けたニューヨークの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
ハーバート・クラップ(Herbert J. Krapp)
ブロードウェイを代表する劇場建築家

ハーバート・J・クラップは、20世紀初頭に数々の劇場を手がけ、現在のブロードウェイ劇場街(シアター・ディストリクト)を築き上げたとも言えるブロードウェイを代表する劇場建築家です。クラップは、元々ハーツ&タラントの事務所の見習いとして設計学を学び、ライシーアム劇場、シューベルト劇場、ブース劇場、ニュー・アムステルダム劇場、ロングエーカー劇場の設計に携わりました。1915年に事務所を離れ独立したクラップは、
1910年代前半からブロードウェイ最大の運営劇場団体であるシューベルト兄弟と直接提携して活動を始め、
多数の劇場建築を行いました。
クラップは、無駄なく全ての空間を活用する技術が非常に優れており、建物の空間を最大限に引き出し、劇場の形や大きさに合った舞台構成と座席配置を各劇場ごとに採用していました。例えば、
敷地形状に合わせ客席と舞台を斜め配置にしたアンバサダー劇場では、左右非対称の座席配置に、舞台を客席の正面ではなく横にずらして設置し、限られた敷地でも視界と動線を最適化しました。
クラップの得意とした建築様式はモダンスパニッシュ様式(Modern Spanish Style)で、素焼きの焼き物を外装に施し、レンガ壁の装飾やアーチ型の窓を取り入れている点が特徴的で、バーナード・ジェイコブス劇場やマジェスティック劇場などが代表的となっています。内装デザインには18世紀のイギリスの伝統的な新古典主義をもとにする室内装飾様式(アダム様式:Adam style)を好んで採用しました。ウィンター ガーデン劇場、アンバサダー劇場、マジェスティック劇場などに採用され、今でも各劇場内ではクラップが手掛けたアダム様式を見つけることが出来ます。
一方で、数々の建築を手掛けてきたクラップは、一つの建築様式だけにこだわることなく、ニール サイモン劇場の建設にはコロニアルリバイバル様式を採用、ウィンター ガーデン劇場の改築の際には現代建築様式(コンテンポラリー様式)、ゴシック・リヴァイヴァル様式を採用するなど、様々なジャンルの建築様式を劇場を建てる人物の要望に合わせて形にすることが可能でした。
そして、劇場建築だけでなくホテルの建設にまで活躍の場を広げたクラップは、タイムズ・スクエアの中心に位置する
ホテル・エジソン(Hotel Edison)の設計を手がけており、ブロードウェイの歴史だけでなくタイムズ・スクエアの建築開発の先駆者として、ニューヨークの歴史に名を残しています。
ハーバート・クラップが手掛けた劇場リスト
ブロードウェイの名建築士、ハーバート・クラップが手掛けたニューヨークの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
ハワード・クレーン(C. Howard Crane)
アメリカ各地に劇場を建てた建築家

ハワード・クレーンは、1885年にコネチカット州ハートフォードで生まれたアメリカ人建築家で、数々の建築事務所で製図工として働いた後、1908年に自身の建築事務所を立ち上げました。クレーンは北アメリカ中心の映画館設計に特化していましたが、彼のキャリアでは**250 を超える劇場設計**を手がけたとされています。
デトロイトを拠点に活動し、そのうち**62館はデトロイト地域**での設計とされます。5174席を擁するデトロイト・フォックス劇場(Fox Theatre)は、クレーンにとって最高傑作と称されることが多く、1928年竣工です。
ニューヨークでは、1925年にオーガスト・ウィルソン劇場(旧ギルド劇場/ヴァージニア劇場)の設計を、ケネス・フランツハイムと共同で手がけました。オーガスト・ウィルソン劇場の設計には、教室、リハーサル室、図書室などを併設する構成が含まれており、当時としては多機能型劇場の先駆例とされます。1952年、ロンドンで生涯を終えました。
ハワード・クレーンが手掛けた劇場リスト
ブロードウェイの建築士、ハワード・クレーンが手掛けたニューヨークの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
ジョージ・キースター(George Keister)
べラスコ劇場を手掛けたベテラン建築士

ジョージ・キースター(George Keister)は、1880年代半ばから1930年頃にかけて活躍したアメリカの建築家です。1890年代にはニューヨーク建築連盟(Architectural League of New York)の秘書を務めましたが、当時はそれほど名の知られた存在ではありませんでした。
今日では現存するべラスコ劇場(旧スタイヴェサント劇場、1907年竣工)の設計で知られていますが、それ以前にもニューヨークで複数の劇場を手掛けました。代表的なものには「コロニアル劇場(Colonial Theatre、1905年開場)」、「ローズ・ヨークビル劇場(Loew’s Yorkville Theatre)」、そして1982年にマーリオット・マーキス・ホテルとマーキス劇場の建設のために取り壊されるまで活動していた「アスター劇場(Astor Theatre、1906年開場)」があります。
1907年には劇作家・演出家デイビッド・べラスコの依頼により「スタイヴェサント劇場(後のべラスコ劇場)」を設計しました。べラスコは舞台芸術そのものだけでなく劇場空間の完成度に強いこだわりを持っていたため、その要求は非常に厳格でしたが、キースターはこれを見事に具現化しました。
そのほかの代表的な設計として、「ホテル・ジェラルド(Hotel Gerard、1893年竣工)」、「ブロンクス・オペラハウス(Bronx Opera House、1913年竣工)」、「アポロ・シアター(Apollo Theater、1914年竣工)」、「セルウィン劇場(Selwyn Theatre、現トッド・ハイムズ劇場、1918年竣工)」などが挙げられます。
ジョージ・キースターが手掛けたニューヨークの建築物リスト
ブロードウェイの建築士、ジョージ・キースターが手掛けたニューヨークの劇場、建築物一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
オン・ブロードウェイ劇場
その他の建築物
アポロ・シアター
ジェラルド・ホテル
ブロンクス・オペラハウス
ファーストバプテスト教会
トーマス・W・ラム(Thomas W. Lamb)
20世紀始めのニューヨークの発展に貢献した建築デザイナー

トーマス・W・ラム(Thomas W. Lamb)は、アメリカ国内で合計約300もの劇場や映画館を設計し、20世紀初頭のブロードウェイおよびアメリカの娯楽産業の発展に大きく貢献した一流の建築デザイナーです。スコットランドに生まれ、12歳でニューヨークに移住したラムは、全米でも最も入学倍率が高い名門のひとつであるクーパー・ユニオン(The Cooper Union for the Advancement of Science and Art)で建築を学びました。1909年に最初の劇場を手掛け、その後、1910年に地下鉄がタイムズ・スクエアを通るようになって以降の劇場建設ラッシュの中で、コート劇場(現ジェームス・アール・ジョーンズ劇場)をはじめとする数多くの劇場を設計しました。結果として、ブロードウェイ周辺では少なくとも17の劇場を手がけたとされています。
ラムの建築はブロードウェイの劇場にとどまらず、大規模な映画館や、マディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)、パラマウント・ホテル(Paramount Hotel)などにも及びました。残念ながら彼が設計したブロードウェイの劇場の多くは現在取り壊されており、現存するのはコート劇場(ジェームス・アール・ジョーンズ劇場)などごく一部に限られます。しかしニューヨーク市を含め全米各地に建設された多くの映画館は現在も営業を続けており、トーマス・W・ラムは20世紀初頭のアメリカにおける劇場建築の先駆者として高く評価されています。
トーマス・W・ラムが手掛けた劇場リスト
ブロードウェイの建築士、トーマス・W・ラムが手掛けたニューヨークの劇場一覧です。リンク先にて、各劇場の詳細を確認できます。
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